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「KIGEN」第三十九回


「単純に言えば誘拐、ですよね。けれど、あれ程高名で世間的にも立場のある人間が、そんな大それた事をするでしょうか」

「ううん、偉い人間の考える事は凡人の俺には理解出来んことも屡々だからな。残念ながらきっぱりとは否定できない。だがあの温和で博識な犬飼教授が、短絡的な行動をとるだろうかとは思う」

 どうしても教授の穏やかな印象が強くて、悪い想像が働かない。唸る後部座席の二人の方へ、それまで黙って運転役に徹していた矢留世が口を開いた。

「奏くん。教授の車は相変わらず移動してるかい」

「はい。いちごうの話していた通り、市街地を離れて県境の山の方へ向かっています」

「そうか、やっぱり」

「え?」

「―同じなんだ、僕と」

「何の事だ、矢留世」

「教授の行き先は、僕が行こうとしていた場所と同じなんですよ。場所というか、ある人を訪ねようとしていたんです。いちごう君のために。だけど会える保証もありませんでしたし、もっと確証を得てからみんなに話そうと思って、一人で調べていたんです」

 三河と奏は思わず顔を見合わせた。そうしてみてお互いの顔が何のこと?と語っているのを知った。



 両側に田んぼや畑のひたすら続く一本道を走り続ける高級車だったが、道の真ん中で突然やる気を失くしたように速度を落とした。犬飼教授はしまったな、とあまり後悔しているようには聞こえない調子で独り言ちて停車した。風を受けて大人しく座っていたいちごうも、ここで口を挟むのはルール違反にはならないだろうと判断して声を掛けた。

「いや、あまり乗っていなかったからね、ガス欠だよ。困ったね」

「ああそれは・・弱りましたね」

 犬飼教授はガソリンスタンドへ行ってガソリンを貰って来るという。もう少し先へ行けば小さな町があって、町内唯一のガソリンスタンドがあるのだそうだ。クーラーの切れた車内はみるみる温度が上がり熱気に襲われた為、いちごうは木陰で待つことになった。

「車を見張っていてくれると嬉しいよ、ここを離れないで待っていられそうかい」

「もちろんです、任せて下さい」

 見張り役を自信満々請け負うと、日差しの中、遠ざかっていく教授を見送った。周囲にすっかり人の気配がなくなってから、いちごうは通信を開始した。


「あっ、いちごうからショートメッセージが来ました」

「電子メールってこと?なんで今まで使わなかったんだろう」

「相手の出方が分からなかったからではないですか。いちごうがAIだと知った上で連れ去ったのならデジタル機器への警戒をしていると考える方が自然です。犬飼教授ならば尚の事です。その上電波環境もあまりよくないみたいですね、通話は出来そうにありません」

 会話しながら奏はメッセージに目を通した。

「矢留世さん、追い着くチャンス到来です。犬飼教授はガソリンを求めて車を離れたそうです。GPSもさっきから同じ地点を示しています」

 ようしと張り切って車を飛ばした矢留世だったが、三十分ほどで二人は移動を再開した。初老の男性が暑さを冒して徒歩でやって来たものだから、熱中症を心配したガソリンスタンドの店員が犬飼教授を車で現場まで送ってくれたのだ。

「とにかく追い掛けよう。リーダーの云う通り目的地が同じなら、必ず会えるだろう」

「そうですね、矢留世さん、よろしくお願いします」

 結果的に、目的地の手前というか、敷地内というべきか、コンクリの舗装道路を外れて畦道に入った所で追い着いた。畦道に出来た大きな水溜りへ高級車の後輪がすっぽり嵌っていたのだ。立ち往生している二人の人物を認めて、片方は間違いなく犬飼教授で、もう片方は服を着ていない大柄な、日焼けしたいちごうだった。

「無事ですかっ!」

 車が一台近付いて来て傍へ停車した時点で、教授は全てを察したように、あるいは観念したのか、安堵したのか、肩の力が抜けたように力ない笑みを浮かべていた。

「いちごう!大丈夫!?」

「うん元気。けど裸だよ」

「そうだね、でもごめん、衣服は持って来なかったや」

「うん平気」

「なぜこんな無茶を強行なされたんでしょう。教授がなさった事は誘拐未遂ですよ。万が一いちごう君が危険な目に遭っていたら、取り返しのつかない事態を招いたかも知れません。そんな事、教授だって十分承知の筈でしょう」

 犬飼教授は目線を足元へ落としたまま、自嘲の笑みを浮かべている。項垂れた肩など凡そ教授には相応しくなく、ぎらつく太陽の下へ立つ教授は、日頃周囲から溢れるほどの信頼と喝采とを一心に受ける立派な犬飼教授とは程遠い存在に感じられた。奏も矢留世も戸惑いを隠せない。

「―どうしても叶えて欲しかったんだ、夢を」

「それは一体、誰の夢ですか。犬飼教授、御自身のですか」

「・・・そうだよ僕の夢だ。僕がどれだけ多忙だろうと、嫉妬や批判を浴びせられようと、長年に渡ってあらゆる方面へ顔を出し助力を惜しまなかったのは、人類がいまだかつて見たこともない景色を眺めていたい。その夢があったからさ。御蔭でこうして人類史上初のAIと出会う機会を得た。そしてそんなAIは夢を持っていると言うじゃないか。いちごう君がその夢を叶えられれば、歴史に名を残す。まさに見たことの無い景色が眺められるわけだよ。そんな至高の贅沢が他にあると思うかい。だからいちごうくん、君には常識を覆して貰わなきゃ困るんだよっ。それなのに―角界入門の扉からして開けないと言うじゃないか。融通の利かない人類の、いかにも馬鹿げた話だよ。だから僕は―」

「源さんですね」


第四十回に続くー


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