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「KIGEN」第四十一回


 必死に取り縋る矢留世を振り払い、源三郎は客間を去って家の奥へ消えてしまった。縁側で微かに風鈴が鳴る。どしどし足音がしたと思うと、小ざっぱりと涼し気な格好になったいちごうと奏が帰って来た。客間を見渡し、源三郎の姿が無い事に気が付く。

「あれ、源三郎さんはどちらに?私はさっきの失言を謝罪して、早速本題に入ろうと思ったのですが」

「ごめんいちごう君。今日はダメだった。話を聞いてもらう前に出て行かれちゃったんだ」

「そうですか・・仕方ないですね」

「強引に押し掛けた引け目もあるから、今日は帰ろう。犬飼教授、帰りも御自分で運転なさいますか」

 今後の事を話し合う前に源三郎と出くわした為、なし崩しに一緒に訪問した犬飼教授だったが、彼も結局源三郎とは赤の他人であったから、静かに後ろへ控えていた。

「できれば代わって貰えると助かるよ。慣れない無茶をした所為で講義の時よりも疲労を感じているところです」

 犬飼教授の車は三河が運転し、後部座席へ教授を乗せていく事に決まった。矢留世の軽自動車には奏といちごうが乗る。

「突然押し掛けて申し訳ありませんでした。どうか源三郎さんにもよろしくお伝え下さい。また伺いますから」

 見送りに出てきたカエデさんは、矢留世の頼みを請け負うとも請け負わないとも答えなかったが、気を付けて帰ってと一同を笑顔で見送った。

「ここで諦めたらもう後がない。とにかく通って、先ずは話を聞いて貰えるようにお願いしよう」

「そうですね」

「私も頑張ります。お借りした浴衣も返さなければなりませんし」

 そんな訳で矢留世と奏といちごうは、数日おきに源三郎の家を訪ねて面会を望んだ。学生の夏休みにも期限があり、いちごうには時間がない。無暗に攻め立てれば逆効果になるとの思いもあったが、それでも当たるしかなかった。いちごうの熱意が伝わるまで、通い続けるしかない。根競べだ。

 源三郎には会えず、代わりにカエデさんに見送られるというのを三回やった。姿は全く見えなかったが、奥に源三郎が居るとしか思えなくて、毎回声を張り上げた。

 どうか話を聞いて下さい。彼自身を見てやって下さい。一日も休まず稽古してます。

 私は本気です。でも素人の独り相撲です。だから一生懸命相撲と向き合います。

 見込みがありそうだったらで構いません、稽古をつけて下さい。


 三者は餌待つ燕の子のように好き勝手言い募っては、奥から反応を得られないかと毎度首を長くして待った。そんな奮闘が四回目となった日、お願いしますと頭を下げて待つ三人の元へ、裸足の足音が近付いて止まった。あ、と思い顔を上げると源三郎だった。

 源三郎はいちごうを見ていた。初対面の癖に下手なまわし一丁でやって来たのはこいつだな。そんな顔をしていた。玄関の三和土たたきへ突っ立った三人を押しのけるようにして自分の草履へ足を入れると、顎をしゃくって目線を外へ走らせた。三人は戸惑って顔を見合わせている。

「ぐずぐずするな」

「はいぃ」

 急いで背中を追い掛けていくと、広大な畑の入り口に出た。日の光を存分に浴びた夏野菜や向日葵がびっしり植えられている。緑だらけで、土まみれで、青々と威勢がいい景色が広がるがしかし、肝心の土俵はどこにも見当たらない。

「あの、ここは畑ですよね。その・・稽古は、どこで―・・」

 いちごうの質問を源三郎はふんと一蹴した。

「何の話だ。畑を手伝わせる為に呼んだだけだ。人手が足りん、見ればわかるだろ。夏は忙しいんだ」

 いちごうは茫然とその場へ立ち尽くした。彼の心情を慮った奏が気の毒そうに声を掛ける。だがいちごうは返事もしない。正面から目も逸らさない。そして、奏と呼び掛けた。

「こんな景色今まで見た事無いね。素晴らしい光景です」

「でも稽古が・・時間が無いんだよ」

「大丈夫、何とかなる。それよりこんな体験できるとは思わなかった。源三郎さん、入ってもよろしいでしょうか」

「入らんと畑仕事にならんだろうが」

「はいっ。奏、入っていいんだって。では失礼します!」

 足を踏み入れたいちごうは、かつて嗅いだことの無い青臭さと土の醸し出す、噎せる程の夏をぐんと鼻腔に吸い込んだ。忽ち自然の強さに圧倒される思いがした。頭数に入れられた奏と矢留世をも巻き添えにして、この日は畑仕事に大粒の汗をかいた。奏は遂に大根を引っこ抜いた。矢留世は帰らなければならなかったが、いちごうと奏は泊まる事になった。源三郎は始終仏頂面で、帰れとは言わなかったが世話も焼かない。カエデさんが夕暮れ迄手伝った彼等に風呂を勧め、夕食を勧め、良かったら泊まっていくといいと言ってくれたのだ。いちごうは外泊自体初めての経験で、いつまでもそわそわと落ち着かない様子だった。

「へえ、早朝から畑に出るんですか」

 夕食の席で、朝の涼しい内に畑へ出て野菜を収穫する話を聞いたいちごうは、俄然張りきってご飯をおかわりした。

 それから二人は泊まり込みで畑仕事を手伝う日々を暮らした。しかし奏は肉体労働は苦手、虫も大の苦手で、翌日早々熱中症でダウンした。代わりにいちごうが二人分働くと言って、何処までも楽し気に土と戯れていた。数日おきに矢留世が様子を見に来るが、いつ訪れても夏の青畑に身を埋めている姿に出くわすばかりで、相撲の稽古が始まりそうな気配は微塵も漂っていなかった。

 源三郎の家は二階建ての一軒家で、元は古い家だが中古で購入した際に最低限のリフォームを済ましたらしく内装は所々新しい。庭の続きに大きな畑があって、畑の一角には作業小屋がある。台所の勝手口から出れば裏の小川に近道で、野菜を洗ったり冷蔵庫に入らないスイカを冷やしておくのに便利だ。住人は源三郎とカエデさんの他にもう一人、若い女性が暮らしていた。歳は二十代後半、日本語はほぼ通じなかった。名前をアイリーといった。


第四十二回に続くー


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