食の風景「あの日のコロッケ」―掌編―
コロッケと聞いて思い浮かべる光景ってどんな時間だろう。今ではコンビニへ行けば大体レジ横のショーケースに並んでいるけれど、思い出すのは、なぜか懐かしい方。例えば――あの日のコロッケ。簡素な紙の袋へ入ったあつあつを頬張った、夕日の中で過ごした時間。
仕事帰りに近所のスーパーへ立ち寄って、立派なサイズの新じゃが芋を見つけた。男爵だ。ごろごろごつごつ、見るからに美味しそうな男爵を眺めていたら、口の中が旨い想像でいっぱいになった。頭の中ではもう美味しいのが出来上がっている。
「よし、今日はコロッケを作ろう」
合挽き肉やコーン、玉ねぎ等を混ぜても美味しいけれど、今夜は男爵だけ。塩胡椒の素朴な味がする、おやつみたいなコロッケが食べたい。台所ヘ立って、早速エプロン巻き付けて、束子でじゃが芋の表面をごしごし洗う。思った通り、まだ皮にはりがあって、まるで畑から収穫して来たような元気な姿。皮ごと素揚げしてぱっと塩を振るだけでも絶対美味しいだろうなあ。そう思うと生唾ごくんと呑み込んで、気持ちがちょっと浮気する。私は慌てて首を振った。ダメダメ、今夜はコロッケなのだ。
じゃが芋は全部で三個茹でた。ボールへ取って、ごろっとしたお芋の食感が残る様にスプーンで潰す。味付けは塩胡椒のみ。衣は小麦粉と溶き卵に、細かくしたパン粉。小ぶりな俵型に成形してはお皿へ並べてみると、予想よりうんと沢山出来た。まるで花が咲いたみたい。
油を熱し始めておき、コンロ周りに衣やタネをスタンバイ。新聞紙を広げてその上にキッチンペーパーを二枚用意する。揚がった順にここへ引き上げて、余分な油を落としてからお皿へ盛り付けるのだ。壁時計を見れば部活を終えた子どもたちがぼちぼち帰宅する時間が近付いている。いつもはつまみ食いと手を伸ばす子ども等を叱るけれど、今日は特別ね。
衣纏った小判が一つ、また一つときつね色に仕上がっていく。良い感じ。家の中が段々揚げ物の匂いで一杯になって来る。換気扇からも抜けて、今御近所中が同じ匂いに誘われているかも、なんて思っていたら、夕方の音楽が町のスピーカーから流れ始めた。顔を上げると窓の外がほんのり赤く色づいている。その瞬間、私はふっと小さな背中を思い出した。
「ただいまー」
腹ペコ一号が帰って来た。お約束みたいに腹減ったーと続けて、重たい荷物を廊下へどさりと下ろすと、口うるさいのが出る前に弁当箱を出す。
「お、コロッケだ」
「おかえり」
言いながらキッチンペーパーで揚げたてを一個挟んで差し出す。
「はい、揚げたて一個ね」
気分はお肉屋さんのおかみさん。腹ペコ一号はおおー!と喜んで受け取ると、勢いよくかぶり付いた。サクッ!と軽い音。持ち上がる眉。
「うめえー!」
「ウスターソースはお好みでどうぞ~」
と言い添える前にあっという間に平らげてしまった。その内腹ペコ二号も帰宅して来て、同じように一個だけサービス。後は夕食まで我慢。
配膳を終えて、今度はサラダと一緒に盛られたコロッケが食卓へ並ぶ。頂きますと同時にもりもり平らげていく子どもたち。作った甲斐があったと嬉しくなる。おっと、パパの分よけておかなくちゃ。
コロッケ定食はパパにも好評を得て、わが家の夕食は今日も無事終了。
一人になって、最後の洗い物を片付けながら、私は又昔を思い出していた。
小さな背中は自分のもの。その両手で持っているのは簡素な紙の袋に入ったあつあつのコロッケだ。あの日私は、五つ上の兄と喧嘩して半べそになっていた。喧嘩?どうして泣いたんだっけ。あ、そうだった。放課後遊びに行くという兄に付いて行こうとして、ダメって言われたんだ。それで喧嘩になって、でも結局置いて行かれて、私は玄関で悔し紛れに涙をこぼしてしまったんだった。だけど夕方、帰宅した兄は手にお土産を持っていた。「ん」と差し出されたそれを、私は黙って受け取った。受け取ってやっとそれがコロッケだと気が付いた。兄の顔を見上げると、お土産、とぶっきらぼうに言われた。私は途端に嬉しくなって、まだ熱いコロッケにかぶり付いた。
「ありがとう」
ご飯の前にこんなおやつを食べてもいいのかなと、どきどきしながら食べたコロッケ。外で夕方の音楽が流れ始めた。兄は母との約束通り家中のカーテンを閉める為窓の傍へ近付いていった。自分のより大きい背中が夕日の中へ溶け込んで行った。
あの日のコロッケは、とびきり美味しかったな。
「ごちそうさまでした」
文と料理と写真・いち
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