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「そっか、みんな道具と仲良くなりたいんだな」

 休日に本屋へ行った。探していた本は生憎あいにくの在庫なし。だが代わりに、背表紙見掛けてはっとする出会いがあった。手を伸ばす前からこれは好きだと直感的に思った。

素敵な表紙。優しい色遣いと背筋の伸びる気配


 見るからに自分好みの本だ。レシピではなく、お台所の道具と料理にまつわる話が、素敵なイラストや写真と共に十二カ月の四季を通じて丁寧に語られている。読み物としてもそそられ、道具と料理の世界の一層深い知識を教わるにも良い本だ。きっとそうに違いないと、中をちらっと拝見しただけでわくわくした。
 持参した図書カードは二千円分。気に入った本が在れば値段がそれ以上でも買う積りで来たけれど、この本はカードの額に収まる。他に小説を探しても良かったが、この一冊だけを大事に抱えて家へ帰りたい気分だった。

 ほくほく気分で家へ帰った。

「日本橋 木屋」。この名前を初めて目にした時は、恥ずかしながら老舗の料亭とか料理屋なのかなと思った。違う。「日本橋 木屋」とは、刃物の木屋から始まり現在に続く道具屋さんである。
 寛政四年(1792)創業。大層長い歴史をお持ちで、二百三十年である。木屋の総本家はと云えば、更に遡って天正元年(1571)創業の大阪の薬種商なのだそう。何でも徳川家康の招きで当主の弟が日本橋に移り店を開いたのが江戸の本家となったそうである。私は本書冒頭のこの紹介文だけで、時代小説を一冊読むような奥行きを感じてしまった。いつでもどこでも誰にでも、物語があるのだ。

 因みに日本橋 木屋はホームページがあり、オンラインショップもありますので、参考までに添付させて頂きます。


 本書冒頭の「はじめに」の文末に、日本橋 木屋の総務企画部長・石田克由氏へ「石田さんにとって道具とは?」と伺った際の言葉が掲載されているのだが、その一部を下に引用させて頂く。

「――戦前の日本人が当たり前のように備えていた道具を使いこなす術を思い起こし、美しい日本の道具と仲良くしていきたいものです」

日本橋 木屋 ごはんと暮らしの道具・二見書房


「そっか、みんな道具と仲良くなりたいんだな」
 と、私は今年の春にごはんを美味しく炊く事に特化した土鍋を買った時の話をしみじみ思い出した。

 道具は使わなければ意味がない。本当に好きな物と出会えたら、大事に扱い、丁寧に手入れして、少しでも長く大切に使い続けたい。そうやって共に時を経る程に、道具と仲良くなりたい。日頃そんな風に思いながら生活しているものだから、この一文を読んだ時、長い歴史を持つ「木屋」と云うお店と、本書に広がる数多の話が、ぐっと身近になった気がした。ページを捲る指先が、嬉しさと高揚で震えていた。

 それから私は執筆の休憩時等、本と向き合う時間を作っては、少しずつ読み進めていった。うっとりするような美しい写真を惜しげもなくふんだんに掲載し、丁寧且つ優しい風合いのイラストで、隅々まで散りばめられた道具の豆知識や四季の習わし。一気に読み終えてしまうのは勿体ない。一ページごとじっくりと、知識に触れる時間を味わう様に読むのが楽しかった。
 
 中でも印象的で、驚いたことを一つ紹介しようと思う。日本の古き良き伝統や習わしを大切になされている老舗の店だけれど、ペッパーミルならプジョーのが一番だと堂々言い切っておられる。他にもいくつか外国製の道具のお薦めがあった。私はてっきり日本製にこだわりがあるものと思い込んでいた。だがそうではなく、良いものは良いと、これが一番であるときっぱり言えるのは、まさに職人目線、道具と真摯に、素直に向き合って来られたからこその視点なのかも知れない。反対にマイセンよりロイヤルコペンハーゲンより常滑焼だと熱く語る道具が紹介されていたりもするから面白い。何とも粋でかっこいいと思う。

 私は日本の物作りを尊敬しているし、応援したいと常々考えている。出来る事と云えば手が届く範囲にはなるけれど、素晴らしい手仕事から生み出された道具を買って、使い続ける事で少しでも貢献したいと思う。生活に足りるだけでよい暮らしをしている為、道具も衣類も必要以上に買う事はないけれど、物を買う時は日本製から探すという自分ルールを設けている。勿論そこには日本製が総合的に見て自分好みという理由もあるから、今後もそのスタンスは変わらないかも知れない。けれど本書を読んで、物作りにも国境は存在しないのだと云う至ってシンプルな事を改めて認識する事が出来た。
 以前も私は、節分の和菓子を購入した折、国境と物作りの話をしている。結局自分は人の手仕事が生み出す極上の道具たちに触れる事、そう云う道具が誕生する迄の物語バックグラウンドを学ぶ事が好きなのだ。国だとか人種等と云うものは関係なく、物作りへ熱を注ぐ人々を心底尊敬リスペクトしているのだ。

 何度でも言おう、地球に国境がないように、物作りにも線引きは無い。ただ純粋に道具そのものと向き合うことで、出会いを楽しみ、出会いを喜び、自分にとり本当に必要なものたちと手を繋いでいければ、暮らしは一層愉快に、今よりもっと心地良いものになるかも知れない。

 暮らしの理想と云うものは、欲があっても無くても生きていく内には心の中に大なり小なり生まれるものだと思う。物や土地に執着しない自分でも、こんな暮らしが出来たら楽しかろう、面白かろうと夢想する事はある。私がもしも未来を描くとしたら、どんな日常風景だろうと想像してみた。

『障子窓の向こうがほの明るくなれば夜明けの合図。縁側を開け放ち、家の中へ風が通って一日のはじまり。竹ぼうき、背伸び、柄杓で水遣り、朝の運動。
 腕まくりして立つお台所。静けさの内に注ぐ朝日と、眠りから覚め切らない家屋の暗がり、コントラストが目に冴え冴えと映る。
 夕べ研いでおいた菜切なっきり包丁で朝餉の支度をする。天日干ししておいた竹ざる。梅干し、味噌汁の香り立つ室内。庭からは青草そよぐ音。じゅうじゅうフライパンで巻いた玉子焼き。わっぱの弁当箱を持って出かけ、昼間に汗をかく。大きな夕日を浴びながら帰り、夜は囲炉裏の守りをして、気に入りの茶碗や食器を布巾で軽く拭き上げては並べて乾かし、お台所に静寂が戻る。今日を終えて布団へ横になる。
 また朝が来ては土鍋でご飯を炊いて、鰹節を自分で削る。野菜の酢漬けを味見して、嬉しくなる――』

 どうだろう。何だかとても楽しそうな気配がするではないか。だがしかし、そんな暮らしを営む様になれたなら、そこはもう自分にとり現世の極だ。そこ迄登り詰めるには、まだまだ色々と足りない我が身なのである。


 それにしても、本当に素敵な本に出会えた。ずっと大事にしたい一冊を手に入れた喜びは何ものにも代え難く、感謝の気持ちで一杯なのである。

                         

お台所の頼もしい道具の一部を並べてみる
笊好きだった母の買ったものに加え、和菓子などを頂いた時の笊たち。いつの間にか種類豊富になっていた。使うのが楽しい道具の一つ。


                        文と写真・いち


※文中で話題にした節分の記事を参考までに添付します。





お読み頂きありがとうございます。「あなたに届け物語」お楽しみ頂けたなら幸いにございます。