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掌編「或る青い流線形の彼」

 

 深く、深く、けれども透き通る程に美しく、どこまでも青き場所で、彼は生きた。暗き闇の只中、恐れるものもなく、己の研ぎ澄まされて、愈々冴えたるを頼りに、縦横無尽に、深い青を味わい尽くして生きた。遥か上空から、日に一度は光の筋が差した。決して憧れるのではないけれど、それでも彼はそのひと時を美しいと感じた。或る時は目指してみようかと鼻先を伸ばし掛けた。けれどもやはり、深い青を離れることは出来なかった。彼はそれでも満足していた。彼の周囲には常に命が溢れ、己の飢えを満たし、仲間の心を慰め、黒い大きな塊の蔭へ潜むような恋もした。このまま己の身は、青き世界の只中で、美しくしなやかな流線形を辿りつつ、光の筋を越えて行くものと夢描いていた―


 ちょ、あいつ俺のことめっちゃ見てくるじゃん。
 嬉しいけど、悪いが俺は止まらねえよ。つーか止まれないんだわ。止まると死ぬ。聞いた事あるだろ、回遊魚っての。俺も、あれだ。

 俺は目白鮫雄(めじろさめお)、育ち盛りの独り者だ。名前が安直なのにはちゃんと理由があるんだぜ。俺の世話を焼いてくれるシンデレラガールが、俺の属科をみんなに憶えて欲しいから、メジロザメから生み出してくれたんだ。かわいい奴だろ。俺はこれでも感謝してんだぜ。止まって一礼なんて洒落た真似できねえから、全然伝わって無いと思うけどな。シンデレラガールはいつも大体同じ頃俺の傍へやって来るんだ。真っ白い衣装を身に纏って、にこにこと、俺のより随分小さな歯を見せて、然も嬉しそうに、髭のおっさんとやって来るんだ。

 俺はな、気が付いたときにはここに居た。俺が大好きで、ずっとずっと、一生涯生きてくんだと思ってた青の世界に比べると、狭かった。けどその内慣れた。仲間のこともそりゃ気になったよ。けどその内平気になった。ここにも新しい仲間がたくさんいたからな。あいつらもきっと、自分の居場所で元気に泳ぎ回ってると信じたいね。

 新しい仲間には、見た事もない色のやつと、見た事もない形のやつと、嗅いだことの無いにおいのやつが居て、見た事も無い輝きの中で、好き勝手暮らしてた。シンデレラガールもその内の一人だった。でも彼女だけは別格で、初めて見た時は、もう少しで泳ぎ忘れて死ぬ処だった。別格なのは色形だけじゃない。彼女はいつも俺たちの居る世界の外に居るんだ。髭のおっさんはたまーにこっちの世界にやって来るけど、彼女はまだ来た事が無い。ただ、俺は触られた事がある。いや、なんつーか、触らしてやったんだ。正確にはな。いつだったか、こっちの世界へ、彼女が手を伸ばして来たんだ。白い、透き通るようなしなやかな手を。「手」は、覚えたんだ。俺は賢いんだ。それに好奇心もうんとあるからな、彼女と、序に髭のおっさんの音を、あ、いや、「声」を、よく聞いて、色んなことを覚えるんだ。それで、俺の方へその手を伸ばしてきたから、俺はいつもの感謝の気持ちを伝えたるぜと張り切って、彼女の方へ泳ぎ迫った。その様が、あんまり気迫に満ちてて、一度目は、驚かせちゃったみたいで、彼女は手を引っ込めた。けど、ぐるっと回って、俺がもう一度近付いていくと、今度は上手く、俺の自慢の流線形をさらさらと撫で付けたんだ。

 どうだった?驚いたか?嬉しかったか?俺は彼女の反応が物凄く気になった。気になったがぐるっと回らなきゃわからないから、急いで小さな海を切って、ようやく彼女の傍へ舞い戻って来たら、彼女はもう、居なかった。
 ちぇっなんだよもう。俺は不貞腐れた。けど一周した頃にはもう気にしない。そんな器の小さな奴じゃないんだ。どうせ生きるなら、生涯どんと生きたいね。

 ここは狭いうえに、日に一度の光の筋が存在しないんだ。それだけ実は、ちょっぴり寂しいね。だがここに居ると、シンデレラガールみたいなのがたくさん世界を覗きに来るんだ。大きいのとか小さいのとか。色んなのがやってくるんだ。ハロー、ハロー。俺は毎回張り切って迎えてんだけど、伝わってんのかな。中にはこっちとそっちの世界の狭間に貼り付いて、目の玉で俺を追い掛けて来るのが居るんだ。

 ちょ、あいつ俺のことめっちゃ見てくるじゃん。
 嬉しいねえ。そりゃあたんと嬉しいね。けど止まってやれなくてごめんなって思う。その代わり自慢の泳ぎをいつまでだって見せてやるから、俺から目を離すなよって張り切ってる。

 あ、おいおい、そいつは俺じゃねえよ、同じ形だけど目白の岩さんだよ。髭のおっさんが世話してるやつだよ。なんだよもう、節操ねえな。鮫なら誰でもいいのかよ。あっ、あっちでも俺の事指差して燥いでるやつ発見。今行くぜ、待ってろ。
 こんな調子で俺はずっと大忙しさ。けど、止まらねえよ。回遊魚だからな。

 今日は見に来る奴がいねえみたいだ。ここはたまにそんな日があるんだ。多分働き方改革ってやつだと思うね。どうだ、物知りだろ。俺がたまの休日をエンジョイして寛いだ様子で泳いでると、髭のおっさんがのしのしやって来た。

 あいつまたあのブラシ持って来やがった。八重歯を見せるなってんだ。ったく。あのブラシが入ると泳ぎ難いったらないんだ。でも俺も引かねえ性格だから、ぐんぐん海を切る。勢い余って髭のおっさんの横っ腹にアタックしちゃったんだな。
 うわあ、ごめんなさい、ごめんなさい。そこ触らないで。あ、やめてーふわああ・・・あーあ、力抜けちゃった。俺さ、鼻先はぎゅんぎゅんなんだって。いつも言ってんじゃん、もう。

 みっともない動きしてる間は、どうかシンデレラガールが来ませんように。


彼は眩い青の世界の中で、自慢の流線形を遊ばせながら、今日も青き夢を見る。

                                                    おしまい

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