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掌編「雨の日、あの傘君の傘」

 家族で選挙の投票へ出掛けた行きの事、向かいからお婆さんが一人歩いて来るのが見えた。しとしとと降り続ける雨の中、お婆さんはぱっと此方の目を惹く明るい、鮮やかな黄色い傘を差していた。私はああ素敵な傘を差していらっしゃいますね、と心の内で思った。柄物や落ち着いた色の物を使う年配者の方が余程多いからだ。近付く程に、張り出すうちの一箇所だけが透明になっている事に気が付いた。おや、と思う。そうして擦れ違う前へはっとする。それは小学生などが使う子ども向けの傘であった。この事実に気が付いた時、私の中で物語が始まった。

「(なんとか)ちゃん、この黄色い傘もう使わないの」

「要らない。だってもう新しいの買ったもん。それはもう低学年の子のだもん」

「それじゃこの傘お婆ちゃんが使ってもいい?」

「ええー、子どものだよ」

「でもお婆ちゃんの傘は色褪せててね、こっちの方がよっぽど綺麗なんだよ。傷みもないし。捨てるのは勿体ないから、良かったらお婆ちゃんが使いたいよ。それにここ、透明で前が見えやすいからね。お婆ちゃんこっちの方が安心して歩けるわ」

(なんとか)ちゃんは一度渋った手前笑顔でいいよとは言い難かったけれど、お婆ちゃんの言い分は最もで、確かにお婆ちゃんにはそちらの方が安心だと思い、むにゃむにゃ言いながらいいよと言った。お婆ちゃんはありがとうと言って、早速投票所へ足を運ぶのに、鮮やかな黄色を天に広げて家を出た。

 だからあのお婆さんはあの黄色い傘を差しているのだ。私は俄然そう思った。お婆さんの姿が消える前に、早速隣の妹へ物語を話して聞かせる。ほら見て御覧、あのお婆さんの傘はね――・・

「はははっ相変わらずだねえ」

「ん?どう云う意味だい?」

「妄想逞しいってこと」

 妹はそう云ってそろそろ到着する投票所の入り口に視線を向けた。私はにやりと笑みを浮かべ、ポケットに投票所への入場券が或るのを確かめた。反対の手には、雨を遮る自分の傘の柄を握って。

                       おわり


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