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モヤモヤ日記。芸術や文化って形がないから守らないといけないんだなって、そんなこと初めて考えた

今日はちょっと元気ない。
多分寒いからだな。
最近絵をずっと勉強しているので、文を考えてる時間が取れない。
ちょっとした気持ちからパンダを書いてたけどすごく難しくて…笑
今日はずっとパンダの日だった。だから疲れちゃったのかも(パンダで)
一個のことを始めるとそれしかやれなくなるタイプ。
けど、それも良くない気がして。
文章を書かないと自分の気持ちが見えてこない。

最近、モヤモヤ日記を書いてないから書こうかな。
モヤモヤすることをただただ書く日記…自分のためだけの、モヤモヤ日記。
落ち込んでいるわけでもないけど、無意識に何を考えているのか探したりするために、必要な作業だ。
まとまりのない、結論もない。
とりとめもなく、自分の中で考えを書き出す日記。



私は演劇をやっていて、演劇の本を書いてる人だけど、
失業したり入院してたりして、今、もやっとおやすみしている。
私もこれからのことを考えて、自分の体のことも考えて、進み方を決めていかないといけないと思ってる。
多分、まだまだすぐには動いたりできないと思う。
でも、不思議と私は何も変わっていない。
本と演劇への気持ちは、夜空に浮かんだ星のようなものだ。
夜空を見上げる度に、「あ、あそこに煌めく星がある」と発見する。
星が見たくて、私は毎日夜空を見上げる。



今年、どれくらいの役者さんが演劇をやめるだろう。
今年、どれくらいのスタッフさんが演劇をやめるだろう。
劇場、関連会社…芸術は大丈夫なのだろうか。
私がまた「公演やろう」と思ったとき、そこにどれくらい乗っかってきてくれる人がいるだろう。
芸術を仕事にしている人が、どれくらいいるだろう。


Twitterが苦手だ。
でもなんだかんだ言いつつTwitterをチェックしてしまうのは、芸術関連の人達の動きが分かるからだ。
noteは安全で落ち着いている。自分の先を見据えて、自分のペースで確実に歩んでいく人達の集まりだと思っている。個人個人の実力、力が大きい。
それに対してTwitterは、世の中、物事が動いていく渦を感じられる。実際に沢山の声が集まり、政治などに影響が出たりしたのも見てきた。Twitterは、多数が集まって大きな力になる。

芸術関連で様々な考え、取り組み、動き方を考えている人は多い。それが入ってきやすいのはやはりTwitterだったりする。Twitterを見なくなってしまうとそこの情報が全くキャッチできないから、頑張って少しは読む。でも、ちょっと疲れる。


今、演劇をやる気にならなくて、悩んでいる人はどれくらいいるだろうか。



芸術や文化って、形がないから守らないといけないんだなって、そんなこと初めて考えた。
やりたい人は洪水のように出てくる時代を生きてきたけど、
やりたくてもやれない、やめないといけない、できない、って人が沢山出てくることは初めてで。
もちろん、新しく違うことをしたいとか、自分の意思で選んだ道があるとかそういうことではなく。

何でも、やる人がいなくなったらなくなる。
例えばツールだってそう。SNSも、使う人がいなくなったら廃れていく。
やる人、使う人がいなくなったらそのもの自体が継承されず、消えていってしまう。
流石にやる人がいなくなるとかそんなことは思ってないけど、ある程度いなくなってしまいそうな気もしていて。
舞台、音楽、ダンス…その他も。



当事者たちは極めて複雑な思いだ。
やってる人達は、「今やるべきなのか」をずっと悩むだろうし、
やっていない人達は「何もできていない」と悩んでいる。
実際両方の人の話を聞いてきた。
私はそこの土俵にも上がれず、現実がすごい勢いで追ってきたから違うことで悩んでたけど、環境が変わってなかったら自分もすごく悩んだだろうな。
「今自分にできることは何か」ばかりを考えていただろうな、と思う。
誰かのために、も、自分のために、も私にとっては大事なものだ。


でも確実に、今回のことを、
どこでどの立場で体験したかでこの先もかなり変わってくるだろう。
その真っ只中に私はいなかったけど、いいのかな、とも思ったり。
私は生活の修羅場の真っ只中にいたな。


でも。
私は私のことを考えるのが、今やるべきことだな。
だから自分のことを、考える。


ああ。
早く人に、笑って会いたいな。

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