【エッセイ】あのひとまたあそこにいる!
「あのひとまたあそこにいる!」
小さな二輪車を漕いでいる女の子が、友だちに、そう耳打ちします。
女の子たちの視線の先にいるのは、たぶん私。
前髪が邪魔なのでヘアゴムで縛り、玉ねぎのようにブラブラ揺らしながら、
植え付けたトマトの苗をニコニコ、写真で撮っていたところです。
トマトを種から育てて二ヶ月、やっと植え付けができました。
種を小鉢の土に埋めたのは、遅咲きの桜が咲いた頃。
今年は冬の最後までグズグズと寒さが続いていたから、桜の蕾がぎりぎりまで膨らみっぱなしで、
なんだか体操服がキツくなってしまった小学六年生を見ているようで、おかしいやら、かわいそうやら。
それでも、桜は満開でしたね。
桜の開花に合わせ、八つの小鉢にトマトの種を埋めました。
種を埋めてから一ヶ月。
初めはひょろひょろと風に押し倒されんばかりの細い茎でしたが、
いまでは青く太くなり、繊毛についた緑のにおいもぷんぷんにおいます。これは、害虫から身を守る働きがあるとか。
トマトは若い苗だけど、しっかり自分の身を守ることに夢中になって取り組んでいるのです。
私は、トマトの苗を植えながら、自分を振り返りました。
今年の初めに文筆業を生業にしようと思い立ってから、バイト以外の時間をすべて小説を書くことと家庭菜園に費やしています。
家庭菜園は、将来自給自足で暮らす技術を磨くため。
いろいろ考えながら、充実しています。
「なにが充実しているんだい?」
ええと、この前はできなかったことが今日達成できたんだよ、その繰り返しさ。ちょっと曖昧にしか言えないけど。
でも、私の中では、曖昧どころか、はっきりとした手応えがあります。
日々、本当に成長です。少しずつ目標の達成に近づいていると思います。
でも、それって相手からしたらどうだろう?
「昨日は小説を四千文字書けた。自給自足で暮らす夢を叶えるために、菜園の技術を手に入れたくて、まずは自分でトマトを植え付けることに成功した」
と言ったところで、
「それがなに? 将来もそんな調子で続けていくの? 早く仕事したら?」
私の体験は、みんなの価値基準、お金を稼いでいるのか・食って生きていけるのかに照らし合わせると、とても曖昧なものなのです。
面と向かって言われたり、目だけで言われたり、黙り込まれて雰囲気がそれとなく教えてくれたり、
これまで何度も同じ疑問を向けられてきました。
トホホ。つかれるね。
でもまあ、しょうがないよな。
真っ昼間に庭の畑で写真を撮っているたまねぎ頭の若い人がいたら、二輪車に乗った女の子たちも驚くでしょう。
それは、おそらく両親が仕事に出かけている時間帯に、彼女たちの常識に合わない行動をしているひとだから。
「あのひと、またあそこにいるよ」
仕方がありません。
私は、私の時間を潤沢に使い、理想の人生を作り上げる過程こそ、この世に生まれてきた意味、生きるほんとうの楽しさだと時間をかけて気づいたんです。
初めての仕事を退職してから、いろんな経験を経て。
それは、その過程は、他の人には見えませんものね。
(もしかして、私の玉ねぎ頭がよっぽど不審に見えただけかも?)
トマトの苗は、これからが本番です。
地植えにしたあとは、基本的に水やりはしません。
雑草や草木の根と、栄養分や水分の取り合いが始まります。
さんさんと降り注ぐ厳しい日光。吹きすさぶ春の風。
それに、ちょっと成長したら害虫との戦いも。
鉢植えで育っていた頃の苦しみなんて、いまに比べたら甘ちゃんだったんだと気づくのです。
でも大丈夫。私がずっと見守っています。
来る夏に向けて、いまできることを頑張らなくちゃね。
トマトの苗に指を伝わせ、すっとする緑の香りを嗅ぎながら、私はトマトの葉を優しく撫でました。
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