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1月9日 通院メモ 復職した後に起こるかもしれないこと・・・軽躁というスイッチを自ら入れてしまうことについて

昨日があまりにも良すぎた。
今、ものすごく体調が悪くなって行っている。
行動もものすごくやりにくい。
思考や気分はまだ引きずられるほどにはなっていないが、意欲は完全に落ちている。

昨日から今日の朝にかけて、
「もう、治ったのではないか」
「治るってこういうことなんだ」
と思うくらい、調子が良かった。

調子がいいというのはどういうことかというのは、昨日のnoteを見ればわかる。
身体は軽いし、頭は良く回るし、視野も広くて見えるものがはっきりくっきり鮮やかに見える。
行動するのにも、何の抵抗もなく、そして気分も悪くない。
「こんな状態になったのは、いつ以来だろう?」
と、思い出したくても思い出せないくらい、ずっと昔のことのように思う。
少なくとも、ここ数年間、いや10年くらいはなかった状態かもしれない。

まず、異変を感じ始めたのは、今日の午前中のプログラムを受けているとき。
集団認知行動療法のプログラムでワークショップをしていたとき。
最初は、あたまの中で論点の整理ができていた。
しかし、徐々にしんどくなっていく。
頭が回らない。
意見がまとまらない。
目を開けているのがしんどくて、目をつむってしまう。
テーマが、復職された方が出したもので、自分も同じ課題に向き合わなければならないところを現実逃避していたのかもしれないなぁという考えが出てくる。

双極性障害の人にとって、躁はとても危険な状態であることは、病気の性質を学んだことからも、自分の経験に当てはめてみても、とても理解できている。
躁になると、必ず反動で鬱がやってくる。
ましてや、無理をして鬱寄りの混合状態で頑張りすぎて、躁の状態が所々で混在するようになると、その波は収まることは決してない。
必ず、荒波となり、転覆する方向へと向かってしまう。
前回復職した後は、そうならないようにわざと元気がない状態をキープし続けようとしていた。良くてもフラットの状態。
そういう仕事のスタンスをと割り切っていたのだが、だんだんと「仕事柄」ということで仕事中心の考え方になり、スイッチをちょっと躁よりに切り替えるということをし始める。
そうすると、そのテンションの反動が夕方以降にものすごく出て、疲れ果てるというような生活になった。
自ずと様々な生活も乱れはじめ、行き着く先が再発だったというのがある。
今日、テーマを出された方のテーマが、まさに「仕事で軽躁状態にしなければいけない」ということだった。
軽躁状態というスイッチを入れる行為をしないで仕事をする工夫を考え、行動に移すことができるかは、クリニックの先生は相談に乗ってくれることはあっても、自分でできるようにならないとだめなことでもある。
おそらく、テーマに触れて、テーマのことを考えていたのに、仕事のことやら自分の状態、復職するに当たってのことなども考える状態、マルチタスクになっていたのだと思う。

クリニックが終わる頃には、かなり疲れていた。
いつもなら、昼食は何にしようか考えて、作る材料を買って帰るのだけれど、そんなことを到底する元気もなく、駅前の地下のちょっとおしゃれで健康志向を売りにしている弁当屋さんで弁当を買って帰る。
ただ、「それだけだと栄養のバランスは悪いから」と考える余裕はあって、安くて買っていたトマトを切ってサラダ代わりにしたのと、昨日作って余っていた味噌汁を暖めて、それなりの献立にすることはできた。

しかし、昼食を食べた後、いよいよしんどくなって座っているのもつらい。
後片付けも後回しにして、とにかく寝転がることに。
寝転がっても、なかなか寝付けない。
ぐだぐだとしているうちに、気がついたらあっという間に時間が過ぎている。

食欲もなく、夕食はヨーグルトとリンゴくらいで作らないでおこうと最初は考えていたのだが、どうも寒すぎて暖かいものを食べたくなる。
かんたんなスープくらいならと思って、鍋に火をわかしコンソメスープの素を溶かし、タマネギとトマトを切って入れ、冷凍庫の中に残っていた鶏肉を入れ、溶き卵を入れて作る。
もっと簡単なものと思っていたのに、結局普通に夕食の献立状態のものになっている。
思考と行動がアンバランスな状態。
まあ、身体の内側から温まる状態になったのは良かったのだけれど。

クリニックで週末の目標を書いたけれど、ちょっと下方修正する必要がありそうな感じではある。

連休なので、お正月の頃の最低限の過ごし方に戻して見ようと思っている。

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