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レコードを聴くようになってから、何だか考え方が変わってきた。

最近、ゆっくり過ごしたいと思うとき、時間の過ごし方はYouTubeの動画を見るよりも、完全に音楽を聴く方にシフトした。それもこれも、レコードプレーヤが修理から帰ってきたおかげなのは間違いない。

Doobie BrothersのLPを繰り返し繰り返し、何度も聞いた。
そして、次のLPはこれ。

映画「ROCKY」のオリジナル・サウンドトラック。もう、有名すぎる映画。
何度も観た。そして、そのBGMも超有名。レコード店でサウンドトラックのコーナーを見ていると、スッと目に入ってきた。すぐに買うことを決める。

さて、実際に聴いてみた。
最初の曲は、あの有名なテーマソング。
金管楽器の華やかな音がすごい勢いで飛び出してくる。
ここで気づいたことが一つ。
金管楽器の数。
「最初のところは、トランペットが2つかな?」
そんなことが感じられる。
バイオリンの音も流れてくるが、これまた弓で弦を弾いている音が伝わってくる。どの楽器のどの音も全て聴こえてくる。こんな感覚で音楽を聞くというのはもしかしたら初めてかもしれない。レコードをかけることで、その演奏をしているミュージシャンの動きや熱量(この映画のサントラだからか・・・)までが見えてくるような(見えるわけはないのだけれど)感じがして仕方ない。
これは、デジタルの音楽では全く感じたことがない。

レコードからCDになったとき、我が家のプレーヤはレコードに針を置いた時に何らかの音がしていたが、それがなくなって音楽だけになったことに驚いた。ただ、まだ当時は子どもだった事もあり、聞く耳を持っていなかったのかもしれない。表面的な音の綺麗さだけに気を取られていたのかもしれない。もしくは、CDになって初期だったこともあり、レコーディングからマスタリングまでの技術が確立しきっていなかったのかもしれない。CDになったばかりの頃のCDを聴くと、今のCDと比べて録音の音量レベルがとても小さい事の方が多い。CDの能力を活かしきっていなかったのかもしれない。
CDもいいプレーヤとアンプで音を鳴らすと、かなり立体的に音楽が聞こえてくるのをだいぶ経ってから知ったから(そういえば、TMネットワークの打ち込み系音楽で打ちのめされたなぁ)。

お手軽に心地よく音楽を聴くのもいい。それにはデジタルとの相性が抜群。

でも、やっぱり好きになったミュージシャンの曲を聴くならば、アルバムを聴く。
そして、しっかりと向かい合って聴く。
曲をスキップすることなく、最初から最後まで聞く。
CD・レコード関係ない。アルバムを一つの作品として俯瞰して一曲一曲と向かい合う。

それが重たくなれば、またお手軽に気軽に曲を楽しめばいい。
それこそ、TPO。

でも、アルバムに向かい合えば、そこには必ず感動がある。

たった3枚のレコードを聞いただけなのに、必ずとは大袈裟かもしれない。でも、やっぱりミュージシャンの方々は作品を出すにあたり、なんだかんだと取り組んできたんだろう熱意が、音楽としっかり向き合うと感じられる。CDでも同じなんだろう。たくさんあるCDのアルバムもしっかり聞いてみたいと思うようになった。

今は、CDが売れない世の中のようだ。
自分も、サブスクリプションでAppleミュージックやAmazonミュージックを利用したりしている。レンタルCD屋でCDを借りてくることもなくなった(というか、近所のTSUTAYAなどは店の中のレンタルコーナーがなくなってしまった)。音楽との出会いがネット上というのが普通の世の中なのかもしれない。今や、ライブに行くことも、なかなか難しい世の中にもなってしまった(なんとか手に入れたコンサートツアーも中止されてしまった)。
だからこそ、アルバムはミュージシャンと向かい合うことのできるものとして、本当に貴重。

人生、後半戦に入ったというのに、こうして新しい発見があるということに幸福を感じる。

あれだけ、鬱々していたのが嘘みたいにも感じる(ちょっと、軽躁状態かもしれないと疑ってもいるが)。
生きる価値というのは、新しい発見があることでいくらでも良くなると感じずにはいられない。

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