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20210214 通院メモ 昨日取り組んだ7コラム法が終わってから出てきた思考の色々

昨日のリハビリでのグループワーク以降、やっぱり仕事のことについて色々と思考が高くなってくる。
自分で分析してみると、おそらく承認欲求が高かったのかもしれない。
いくら取り組んでいることが正しくとも、周囲の理解を得られないことに関しては、それなりのストレスがかかるようなことになるのは当たり前といえば当たり前。
「その覚悟はなかったのか?」
と聞かれたら、
「覚悟はしていた」
という答えではある。

しかしながら、クリニックで色々と学んでいる中でわかったことは、具体的にどんな風に覚悟しなければいけなかったがわかっていなかったということ。
当然、風当たりが強くなったりするに決まっているのに、自分の性質に合わせたコンディションの作り方があったはずなのに、それを積み重ねてこなかったのが、こけてしまった直接的な原因になる。

そう、今の双極性障害で苦しんでいる状態というのは、自分が引き起こしたということは間違いない。
自分のそれまでの生き方が、悪い方へ悪い方へと転がっていっただけだ。
誰かのせいにしたくなるところでもあるが、そういう単純なことではない。
おそらく、自分が取り組んでいることについての自分の問題、他者の問題は切り離さなければならなかっただろう。
また、進んだ方が良いという方向性に対しての取り組みを試行錯誤していく中で、これまでの固定概念で評価されるとそこに齟齬が出てくるのは当たり前のことでもあった。
しかし、難しいのは他者との関わりが仕事の中心的なことでもある。
こうした仕事としての矛盾がわかっていながら、適応的な思考や行動というものを取ることができなかったのはやっぱり自分。
周りの不勉強や無理解を嘆いても仕方がない。
また、目の前のことでいっぱいいっぱいの職場の状況に対して、文句を言ったところで始まることでもない。

だから、そうしたところがわかったことで、他責の気持ちは出てこない。
かといって、思いっきり自責が強くなりすぎることも違うような気がする。
それは、自分の性質や生き方を冷静に受け止められるようになってきたことで、素直に認められるようになってきた感じがあるから。
過去を責めても、過去が変わるわけではない。

そうすると、自分がこれから生きていく中で、自分の性質と向き合いながら、どんなことが起こっても大丈夫になれるような習慣を身につけないという目標も見えてくる。
残念ながら、その状況にはまだまだ達していない。

「責任」については、未だわからないところがある。
なんでもかんでも「自分の責任」と捉えていた。
責任なんてとれるはずもないのに。

自分の人生をどのように生きていくのかというというのが、まさにリハビリの中で見つけていかないといけないところなのかもしれない。

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