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20210216 通院メモ 今日は衝動性の高い日、コントロールしにくいことを実感している

今日の調子は、これまでの直感的な感覚で行くと悪いと感じない状態ではある。
しかし、行動をとにかく紙の上に書き記し、それを見直していくと、完全に軽躁状態であったり、衝動性を抑え切れていない、自分をコントロールすることのできていない状態だというのがわかる。

そして、軽躁状態であると普通はこういうことに気付きにくい。
というか、自分も紙の上に記録していなければ、読み返すことがなければ、なにも気付かないまま終わっていただろう。
でも、アウトプットとは自分を客観視させてくれる。
そして、気付くことができる。

明らかにルーティンと外れたところへと向かいそうな気配がたくさんあった。

それに気付いたのが、クリニックから帰ってきてちょっと休憩をしているとき。
昨日から、気分で思いつき行動をたくさんしている状態が記録用紙から見えた。
ブレーキを踏まなければ、何かがきっかけとして落ちていくのが頭をよぎる。
修正をかけなければ、どんどん行動したことによる疲れから、ルーティンでさえ動けなくなってしまうのが予想できる。

ということで、今日はしっかりとそこでブレーキを踏むことができた。
久しぶりに、夕方のルーティンを完璧にこなして守ることができた。
風呂にもゆっくり浸かることができたし、食事も早い時間に済ますことができた。
そして、今の時間帯に再び振り返る余裕のある状態になっている。

自分を助けるのも苦しめるのも自分。
わかっているけれども、できない状態なのも自分。
自分を自分でコントロールすることで、良い状態がたくさん増えることを実感していくと、さらにコントロールしやすい状態になることを期待している。
でも、できなかったりして後悔してしまう。
今、仕事を休んで生き方を練習しているのだろう。
こうした練習は、子供の頃にしておいた方が良いのだろうけれど。
というか、振り返ってみると子どもの頃はできていた。
家庭がそれなりにしっかりしていた。
おそらく、学生時代に一人暮らしをするようになって崩れてしまったのだ。
だから、双極性障害の症状で思い当たる状況というのは、記憶をたどると一人暮らしをはじめて1年少し経ったくらいの20才前。
それ以降、何度か軽度な状態を繰り返しているのもわかる。

昨日の通院メモにも書いたけれど、結局自分で自分を苦しめる方向へと進んできてしまったのだろう。
20年以上も崩れた生活をしていたのだから、簡単に治るわけではない。
ましてや、衝動性がひどくなってしまっているのだから。
ブレーキをかけること、判断することの練習をしっかり、じっくり取り組んでいくしかないようだ。

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