少し見えてきた表現したい「何か」について。
Twitterも仕事も「何を」表現したいのか。
そして、「何を」伝えていきたいのか。
ずっとずっと考えていた。
仕事に関して言えば、子どもの体調不良時なんかは、辞めた方がいいんじゃないかという思いに何度も何度も襲われた。
小さい子を預けてまで働く必要はないのではないか、と頭の中でぐるぐるぐるぐる考えた。
それでも私は辞めることができなかった。
そりゃ、経済的なこともあるけれど、それは最終的な結果であって、それとは別の何かに向かい、私は仕事を継続してきたのだと思っている。
いつも「何のため?」と思いながら進んできた。
そしてTwitterもこのnoteも、「何のため?」に続けているのだろう、と考えてきた。
遠い未来にはマネタイズという目標があるのかもしれないけれど、自分の表現したいことをしっかりしないとたどり着けないなと思っていた。
そう思わなくてもやっていける人、需要を掴み、それに対して動いて行ける人もいるのだろうけれど、私は気持ちを文字にして、確認しながら、歩みの一歩一歩を納得して、腑に落としてから進んでいきたいタイプ。
自分にとって一見しんどいマイナスなことも、一度文字にして、俯瞰してから、プラスの側面を確認出来たら前に進める。
だから、このあやふやな状況で毎日ツイートをしたり、noteを書いたり、仕事を続けていくことは、ゴールの見えない雑木林をただ歩いていくという感じだった。歩み続ける中で、ヒントを見つけながら考え、少しずつ仲間を見つけ、光を見つけ出し、とりあえず道をつくっているというやり方で来た気がする。
闇雲に歩いてきた道に見えるけれど、既に40年近く歩いてきた実績があるから、そこを掘り起こし、素直な心で見つめ直すことで重要なカギとなることにも再会し、たくさんの気づきを得た。
今だからこそわかること、深く感じられるものにもたくさん出会った。
今を生きながら、過去を掘り起こす作業で、少しずつ表現の源になるようなものが見えてきた。
今の段階で私がわかることは、命の輝く瞬間は普段の生活の中に散りばめられていて、そういった瞬間を表現したいと思っているということ。
そういった瞬間を言葉や行動で伝えていきたいと思っている。自分を含めた誰かが、それを感じることによって、生きることって悪くないなと思えたり、自分らしくあることは楽しいなと思えたり、もう少し生き延びてみようかなと思ったり、誰かを信じてみようかなって思えたりしたら、最高だなと思っている。
だから、きっとそのために文字を使ったり、資格を使って仕事をしたりして、表現したいことに向かって日々を生きているのだと思っている。
今は何か形になるようなものがあるわけではないし、毎日は地味な繰り返し。
だけど、そんな中でも日々自分が表現していけるものを磨いていきたい。
仕事に関しても、表現できる手段や方法をさらに探し、磨き、自分の表現としての仕事を深めていきたいなと思っている。
適材適所。
いろんな人が自分なりの表現方法をもっていて、大切な思いを表現している。
それはとても素敵なこと。
そういうものが共鳴しあうことで、ただいることを心から喜べることができたらいいと思う。
うまく言葉で表せない部分も多い。
まだまだ模索の最中で、長い道のりでいろんなことを理解していけたらいいと思っている。
今日のところはこんな感じで終わりにします。
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
そら
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