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読書に意味などないけれど

これまで無数の本を読んできた。

多くの知識を集めてきた。

そうやって賢くなった気がしていたんだ。

でもどれだけ本を読んだところでせいぜいバカが賢いバカになるだけであり、賢いバカは賢くないバカをバカにすることができるくらいなものである。

そして知識で武装した人間が知識を持たない人間を、言葉で攻撃することほど残酷なものはないと知った。



本屋に行けば、この世界の成功の法則が数千円程度で買えてしまう。

でも多分その成功法則はあなたを幸せにはしてくれることはないだろう。

この世に永遠などはなく、全ての始まりは終わりの始まりであるように、自己啓発で盛り上がった感情はあたかもあなたを成功者のような気分にさせてくれるかもしれないが、その感情の高まりが鎮火するのも必然であるからです。

でも私は自己啓発書が嫌いなわけではない。

作者は本気でみんなを幸せにしたいと思っているだろうし、そのためのレシピを数千円というはした金で提供している素晴らしい人格者であることは間違いないであろうし、そんな人が書く文章というものやっぱり素晴らしく、こちらがケチを付けられる代物ではないのだ。

多くの自己啓発書やビジネス書が口すっぱく言っているように、この知識社会においては、知識を得ることで人的資本が高まるというのは、ぐうの音も出ない正論であり、多くの人はそのために勉強をし、その一環で本を読む。

幼児教育の段階から私たちは本を読まされ、小学校に上がれば読書感想文を書かされるようになり、中学、高校でも五月蝿いと感じるほど本を読みなさいと教えられる。

大人になると多くの人は本を読まなくなり、昨今の読書量は著しく低下しているらしいが、それでも読書量調査アンケートなどを見ると、本を日常的に読まないと答えた人でさえ、本は読んだ方がいい、読みたいと思っていると回答している。

読書は有意義であり大義であり、示唆に富む行いだというのが、この世界の常識だ。


私個人の意見を述べるとすれば、やっぱり読書はした方がいい。

でもそれは、読書をすれば年収アップにつながるとか、成功を手にできるとか、読書には意味があるからというそんなクソみたいな理由ではない。

そんなことよりも、読書の真の気品とは、そこに意味などなくても良いのだと思わせてくれることにある。

多くの人を鼓舞し絶望させてきた自己啓発書も、仕事ができる人間になった気分になれるだけのビジネス書も、愛とか恋とかの正体が掴めそうで掴めない恋愛小説も、この世の理を説明しているらしいけれど結局何が言いたいのかよくわかならない哲学書も、等しくあなたを救ってはくれないのだろう。

だけれど、無価値なものでさえも儚く美しく表現できてしまう「本」という媒体はやっぱり魅力的であり、それだけで十分なのだ。


「運命」なんて言葉は眩し過ぎて好まないけれども、自分の価値観が全くの新しいものに生まれ変わってしまうような運命の本というものは確かに存在すると思います。

私という心の鍵穴の形にピッタリとハマるようなそんな本が、多分この世界には存在するというのが私の持論です。

その本がどんな表紙でどんな文体でどんな内容なのかは、出会ってみるまでわからない。

それは、ビジネス書が好きだった人が滅多に読むことのない小説だったり、元々全く興味のないジャンルだったりするのかもしれません。

もしかしたらそれは読了後にパッとしなかった本であり、何年も後になってそういえばあの本って私に大きな影響を与えたよなと突然気づくような、わかりにくいものなのかもしれない。

そして多分それは、この世界の成功法則を謳ったようなキラキラとした題名ではないと思うのです。

もっと普遍的であり、しかし異様さを放っていて、絶望の中にわずかな希望を内包するような、そんな題であるような気がします。


この世界の常識は読書をしなさいと、これからもあなたに見えない圧力をかけてくることでしょう。

きっと、夢を叶える方法だとか、もっと合理的に生きる方法だとか、努力は絶対に報われるだとか、この世界は希望に満ちていると信じて疑わない人たちが書いたような、正論を饒舌に語っている本が相変わらず人気で、そんな本が大量に生み出され私たちの前に現れるのでしょう。

でもだからこそ、この世界に大した意味などなく、もちろん読書にも意味などなく、だけれど意味などなくても良いのだと思わせてくれるような、そんな虚しく美しい本に出会えることを祈っています。

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