大人になると勉強がしたくなる所以
最近は無性に勉強がしたいと思っている。
大人になると勉強したくなるのは何故だろう。
今まで勉強なんて嫌いで仕方なかったのにさ。
大学に行ったのだって、勉強がしたかったからではない。
ただ、実家を出たかった、自由になりたかったから。
高校生の頃の私にとって勉強とは、そんな子供っぽい野望を叶えるための言い訳に過ぎなかった。
勉強だけでなく読書もできればしたくないと思っていたし、作文の課題は心の底から憎んでいた。
でもなんの因果か、大人になった今、読書の量は増え、こうして誰に言われたでもなくクソみたいな文書を書いてる。
時間は全ての人に平等に与えられている唯一の資産である。
1日24時間という時間は全ての人に平等であるという事実は今や小学生でも知っている。
でも、100歳の老人の1日の価値と、小学生の子供の1日の価値は同じではないと私は思う。(もちろん高齢者をディスっているわけではない。)
一般的にみて、年齢が若ければ若いほど未来がある。
最近何かと流行りの「投資」について仮に私が、小学生の頃に興味を持ち勉強をしていたらどうだろう。
多分今頃は、かなりの資産になっているはずだ。
私たちが得た知識は、私たちが生き絶えるまで有効である。
小学生で得た知識はその分長く使えるし、年老いてから得た知識は残り僅かしか使えないかもしれない。
だからこそ、子供の頃の時間の使い方が重要であり、子供の時間の価値は相対的に高くなると私は思う。
だが残念なことにこの事実に気がつくのは、大人になってからだ。
だから多くの人は、子供の頃にもっと勉強しておけばよかったと後悔するのだろう。
そうして大人になり勉強をしたくなる。
人生100年時代になり私たちの寿命は確かに伸びた。
しかし、時間の流れはとてつもなく早いということを、もう私は知っている。
大人になると時間の流れが早く感じるのは、新しい経験が少なくなって刺激が少なくなるからだと聞いたことがある。(事実かどうかは定かではないが。)
子供の頃は早く大人になりたくてたまらなくて、でも四季の流れは遅くて、いつになったら次の季節になるんだと、焦ったかった思い出がある。
これは、私がまだ世界の色々を新しいものだとして経験していたからだと言われれば納得がいく。
まあその真偽は置いておいて、年齢を重ねるごとに1年が過ぎ去る速度は間違いなく早くなっている。
平均寿命は伸びたけれど、私たちの人生は有限で、残り少ないことに変わりはないのだ。
大人になると、何事にも永遠はないと嫌でも知らなければならないし、自分に残された時間は多くないという事実を突きつけられる。
だからこそ、時間を無駄に浪費することを拒むようになるのかもしれない。
大人になると勉強をしたくなるのは、大人になって勉強の価値に気づいたというのも大きな理由の一つであろう。
それと同時に、人生の残り時間に気づき、時間の浪費を拒むようになるのかもしれない。
残り少ない時間をなんとかして有意義なものにしているという事実が欲しいのだ。
だから私は、こうして全く知らない誰かに向けてこんな文章を書いているのかもしれない。
これはただの日記である。
綺麗な起承転結などありはしない。
休日を何か意味のあるものに変えようと思ってなんとか足掻いた結果である。
もう少しでこの記事を書き終えようという今、私は無性にだらけたくなってしまった。(冒頭で勉強がしたいと言っていたのに…)
インスタのリールを再生しようものなら、平気で数時間は飛んでいくだろう。
人間は、人生に生きる意味なんてものを求めてみたり、本能の赴くまま無駄に時間を消費してみたりと、本当に忙しく矛盾していてどうしようもない。
でもそんなところが面白いのかもしれない。
結局いつも同じところにたどり着く。
そんな時間の使い方もまた人生。
人生は自由だ。好きに生きろ。
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