【連載小説】『小さな悲劇で満ちたこの世界で』 12. 消えた未亡人
【これまでのお話】【目次】
プロローグ
1. 硝子のマリア像 2. 不器用な教え子
3. 弱い男
4. 都合のいい夫
5. 好奇心
6. 悲劇の未亡人
7. 刑事たち
8. 交わる運命
9. 未亡人の告白
10. 藤原美羽
11. 不幸な少女
12. 消えた未亡人
城島と袴田が帰名すると、特捜本部は騒然となっていた。2人は、ついにホシがあがったのか、自分たちが澤口美羽を調べたことは徒労に終わったのかと、複雑な心境になった。
しかし、そうではなかった。澤口美羽が、息子の日向を祖父母の元に預けたまま、帰宅しないで一晩が過ぎたというのだ。事件や事故に巻き込まれたのではないかと、心配した圭佑の父圭司が警察に捜索願を出したのだ。
通常であれば、とくに問題を抱えていない健康な大人が一晩家を空けたからと言って、すぐに捜索は行われない。しかし今回は、殺人事件の捜査の最中に、容疑者ではないものの、関係者が行方不明になったのだ。
捜査対象になっていた澤口美羽に何かあれば、警察が責任を問われかねない。万が一犯人ならば、犯人を警戒させ逃亡を許したとして、警察の面子は丸つぶれだ。
捜査員が大学にも問い合わせたが、その日は澤口美羽の授業はなく、何も分からないということだった。
城島は、澤口美羽に関する捜査の進捗、袴田の父親の事件との関わりを、特捜本部の指揮官、警視正の島田に直に報告した。島田は、自らの指揮の下、捜査が袋小路に入ってしまっていたことを棚に上げ、城島をきつく叱責した。
「何でもっと早く報告しなかったんだ。お前が付いていて、所轄の若造に好き勝手させてるんじゃないぞ。澤口美羽に何かあったらお前、どう責任取るつもりだ。どうなんだ、澤口美羽が石川の事件のホシって可能性はあるのか。そうなら、逃げられたんだぞ。お前たちが勝手に動いたことで。なんとかしろ」
自分の立場が危うくなり、島田は支離滅裂だった。島田のことはもともと虫が好かないと思っていた城島だったが、それでもわずかに残っていた島田への敬意は完全に消えた。
やるべきことをやらずに非難されることは一向に構わない。でも、やるべきことをやって筋の通らない叱責を受けるのは金輪際お断りだ。城島は、島田、そして島田が象徴する組織というものの弱点に激しい嫌悪感を覚えた。
捜査会議が緊急招集された。事件にせよ事故にせよ、また自殺にせよ逃亡にせよ、澤口美羽の捜索に全捜査員が注力するよう指示が出た。
澤口家の協力で、美羽の自宅が家宅捜索され、銀行口座が調べられた。自宅からは、美羽の行方につながるようなものは何も見つからなかった。事件前後に銀行口座から現金が引き出された記録もなかった。
1週間経っても美羽は戻らず、裁判所から令状が下りた。美羽の自宅で採取された髪の毛から採取されたDNAが、安田晴香の母親のDNAと照合された。
晴香の母実花子は、最初はDNA鑑定を嫌がったが、晴香が死亡している可能性があると告げたところ、さすがに応じた。
実花子のDNAとの照合で、澤口晴香は、安田晴香であることが判明した。美羽になりすましていた晴香が、本物の美羽を殺害した可能性も出てきたのだ。
石川の事件でも、夫圭佑の事件でも、犯行に結びつく証拠が何も出ないという情況で、自称澤口美羽、本名安田晴香は、詐欺の容疑で全国に指名手配された。
澤口圭佑の母鈴子は、あまりのことに驚きと戸惑いで体調を崩した。自分の知っている美羽を疑いきれずにいた。
「美羽ちゃんには何か深い事情があるのよ。帰ってきてちゃんと説明してくれるわ」
何が起きているのか、何を信じてよいのか分からない大混乱の中で、夫の圭司とともに、孫の日向だけはなんとしても守らねばと決意していた。
他方、安田晴香の母実花子は、血を分けた娘が他人になりすまして人を殺したかも知れないと知り、じくじたる思いを抱え、実の娘生きていたことを呪った。
「あーた子、生むんじゃながった。死んでればよがったのに」
「そーたこと言うな。おめの娘だっぺ。あの子も苦労したんだ。俺も親らしいごどしてやればよがった」
身体を壊して気弱になった養父の源次は、実花子の非情な身勝手さに肝が縮む思いがした。(つづく)
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