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【連載小説】『小さな悲劇で満ちたこの世界で』 10. 藤原美

【これまでのお話】
プロローグ
1. 硝子のマリア像 2. 不器用な教え子
3. 弱い男
4. 都合のいい夫
5. 好奇心
6. 悲劇の未亡人
7. 刑事たち
8. 交わる運命
9. 未亡人の告白

10.藤原美羽
 
 12月に入るとすぐ、城島から美羽の東京時代についてメールが来た。城島の警視庁のツテ、福島昭一からの報告が転載されていた。
 美羽は、北海道釧路市の高校を卒業と同時に上京し、六本木に今もあるクラブ「ウィステリア」でホステスとして働き始めた。唯一の身寄りである祖母は他界している。
 同居人となる安田晴香も同じクラブで働いていた。同じ年の7月には、足立区で古いアパートを借りて2人で暮らし始めた。
 2人はその年の12月に「ウィステリア」を辞めている。藤原美羽は、翌年4月には慈秀大学に入学し、四年で卒業した。一方、安田晴香は、「ウィステリア」を辞めたあと足取りが追えなくなっていた。
 安田晴香の情報も添えられていた。安田晴香は、美羽と同い年で、茨城県筑波郡筑波町、現在のつくば市の出身で、美羽同様、高校卒業と同時に上京していた。母親と義父が今もつくば市に住んでいる。
 報告内容の転載のあとに城島のメッセージが書かれていた。
「美羽の周辺で誰かがいなくなるというパターンは東京から続いている。木を見て分からなかったら森を見ろ、だ。最悪、安田晴香、夫の圭佑、石川修の3人死んどることになる。東京に一緒に行って美羽の東京時代を調べないか」
 城島と袴田は、東京を訪れた。袴田は、東京に来る度に、人の多さに圧倒される。
 あまりにも多くの人とすれ違うと、一人一人はもはや人には見えなくなる。ただ脇を通り過ぎるだけの物になる。田舎者だな。袴田はそう自嘲した。
 2人は新宿のビジネスホテルに宿を取り、2泊3日で澤口美羽、旧姓藤原美羽の東京時代の足取りを追った。美羽が安田晴香と一緒に住んでいたアパートは取り壊されて失くなっていた。
 城島と袴田は、六本木のクラブ「ウィステリア」を訪れた。人が入れ替わり、20年も前のことを知っている人間は誰もいなかった。しかし、現在のママが、当時のママ、岸野陽子の連絡先を教えてくれた。
 岸野陽子は、杉並の小洒落たマンションで妹と一緒に住んでいた。60代後半ぐらいだろうか、夜の世界で稼いでうまく足を洗って悠々自適という感じだった。頭の良い女なのだろう。
 綺麗な白髪で、上品なピンク色のワンピースを着て迎えてくれた。警察官の訪問を面白がっているように見えた。
「美羽ちゃんのことを聞きたいってお電話でおっしゃってましたね。美羽ちゃんどうかしたんですか」
 城島は、事件関係者の人間関係を調べており、参考までに「ウィステリア」で働いていた頃の藤原美羽について覚えていることを教えて欲しいと頼んだ。
 岸野陽子は当時のことを思い出しつつ、エピソードを交えながら話してくれた。クラブのママは話し上手だった。
「美羽ちゃんがうちの求人募集を見てはじめて来たとき、すぐに未成年って分かりましたよ。こちらは人を見るプロですから。でも、何ていうのかしら、とても明るい子でね。話していると、楽しいっていうか、こう、相手を気分よくさせるのが上手な子だなって思ったのよ。で、これならお客さんも付くかもって年には目をつぶったの。昔のことだからもう許してね、おまわりさん」
 岸野陽子は冷めた紅茶を淹れ替えるために何度か席を立ったが、城島と袴田に気遣いさせることなく話を続けた。
「釧路出身だったわよね。北海道の人って、開拓者精神っていうのかしら、自由って感じ。大学に行きたいって言ってたわよ。で、可愛いこと言ってたわ。大学行っても、私に会いたいから週一で働くって」
 そして藤原美羽は、自分が働きはじめて1ヶ月ほど経った頃、「ウィステリア」に安田晴香を連れてきて働かせてやって欲しいと頼んだという。
「晴香ちゃんを見たとき、美羽ちゃんのお姉さんかと思ったわよ。顔や背格好が本当によく似ててね。そしたら同い年の友だちだって。血液型まで同じで。また未成年かって思ったけど、景気も怪しい時代だったし、放り出しちゃうの可愛そうでね。晴香ちゃんは大人しい感じであんまり目立たない子だったけど、品があったな」
 城島と袴田はわけありげに視線を交わした。袴田は、大学に澤口美羽が提出した履歴書の拡大コピーを取り出した。プロフィール写真の部分を指差しながら、岸野陽子に尋ねた。
「この人、藤原美羽さんで間違いありませんか。今は結婚して澤口美羽さんですが」
 岸野陽子は老眼鏡をかけて、澤口美羽の写真をじっと見つめた。
「そうねぇ。もう20年も経ってるものね。美羽ちゃんかしら。もともと目立つ子じゃなかったから。すごい美人ってわけでもなかったし。ヘアスタイルも違うし」
曖昧な答えが精一杯という感じだった。
 そして老眼鏡を眼鏡ケースに戻しながら続けた。12月、クリスマスのすぐあとで、働き始めて1年も経たないうちに、2人揃って突然辞めてしまったという。
「確か美羽ちゃんから葉書が来て、昼間の仕事が見つかったからごめんなさいって書いてあったかな。まあ、夜の世界は、人の入れ替わりが激しいのが普通だから。突然過ぎてすこぉしだけ腹が立ったけど、昼間の仕事が見つかったんだったら、それはそれでよかったなって思いましたよ」
 美羽も春香も上京前のことはあまり話さなかったという。
「夜の世界で働く子はね、いろいろ抱えてる子も多いから、こちらも無理やり訊いたりしませんよ。地元で嫌なことがあったんだろうな。だから東京出てきて、年ごまかして夜の世界で働いてるんだろうなって」
 そして思い出したようにこんな話をしてくれた。
「晴香ちゃんは茨城出身だったでしょ。茨城って、方言があって、それがすごく東北って感じのなの。最後に『ぺ』とか『だっぺ』とか付けるのよね。女の子が言うとすごくかわいいの。それで、たまに晴香ちゃんが『いくっぺ』なんて言っっちゃったりすると、美羽ちゃんがからかってたの。困った顔して苦笑いする晴香ちゃんに『美羽はしみじみだがらな』って茨城弁風に言ったりしてね。『しみじみ』ってね、茨城弁では『真面目』って意味なんですって」
 袴田は、どきりとした。つい最近、その「しみじみ」という言葉を聞いたからだ。澤口美羽だ。澤口美羽が袴田のことを「何でもしみじみする」と言ったのだった。
 そのときはピンと来ないで、言葉の選択に違和感を感じた。美羽は、袴田が何でも真面目にすると言ったのだ。それならば意味が通じる。
 城島と袴田は、3時間ほど話を聞いて、岸野陽子が夕食を勧めてくれるのを丁寧に断り、何度も礼を言って杉並をあとにした。歩きながら、袴田は「しみじみ」の話を城島にした。
「そうか。なあ、袴田、年間8万人って人間が行方不明になっとる。生きて見つかる場合もあれば、死亡が確認される場合もある。約一割は消息が掴めないままだ。身元不明の死体も毎年数百体見つかる。澤口美羽か安田晴香か、まぎれとるかな。自分のすべてを捨てて他人になりたいって、お前、思ったことあるか」(つづく


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