【短編小説】『私の中の獣』ノーベル賞作家、大江健三郎さんを偲んで 《Deep & Darkなお話》(5211字)
篠田洋介は、出会った43年前と同じ聖人のように高貴で穏やかな笑顔を浮かべて私の足元で仰向けに倒れていた。そのときも、今も変わらず、その笑顔は私の中の獣を刺激した。食道の壁を野火のように広がり腹の底から駆け上がろうとする苦い刺激性の液体を私は必死で飲み下した。私は、凍てつく失望と煉獄の炎のような自己嫌悪に押し潰されそうになった。自分はなんと弱いのか。これほどの衝撃を受けずに、人ひとり殺すことすらできない。これまで、自分の決断で、あるいはただの気紛れで、多くの人間の運命を決めてきた、狂わせてきた。人を殺すという行為に比べれば、それらはただのお遊びに過ぎなかったのか。それとも、篠田という人間を殺したことは私にとってそれほど特別なことなのか。
篠田と出会って以来、私は常に、それまでの人生で味わったことのない嫉妬心に苛まれた。国内最高峰の学び舎で、篠田はすぐに頭角を現した。篠田がレポートを提出すれば、教授が篠田を研究室に招いた。篠田が学会で発表すれば、発表後、篠田の周りには必ず篠田と話したい者達の小さな人集りができた。しかし篠田は、そのすべてがごく普通で当たり前のことであるように、特に嬉しそうな素振りを見せることはなかった。ただ穏やかに、求められるままに話し、質問に答え、誰もいなくなると静かに自分の持ち物を片づけて去っていった。
篠田は、同じ研究室の私のことを事あるごとに褒めてくれた。「切り口が非常に興味深いね」「ここの分析は丁寧だね。僕にはできないよ」「阿部君、こんなこと、よく思いついたね」私はそんな言葉を素直に受け止めることはできなかった。本当に優秀なのが篠田であることは誰の目にも明らかだったからだ。私は篠田が私を褒める真意を測りかねた。大学院では、誰もが教授のお眼鏡にかなうために戦々恐々としていた。あるとき、早坂教授がプロジェクト参加者を募った。2人の枠に3人が手を挙げた。篠田は、いったんは手を挙げたものの、「阿部君と永山君が適任だと思います」と言ってすぐに辞退した。
博士論文のテーマを決めなければならない時期が来たとき、篠田は珍しく興奮した様子で自分のテーマについて話した。「まだ思いついたところで形にはなってないんだけどね」しかし篠田が明かしたテーマには眼を見張るものがあった。まだ誰も扱ったことのない対象を斬新なアプローチで研究するものだった。「早坂教授には話したの?」そう尋ねると「いや、もうちょっとまとまったら話そうと思ってる」と答えた。私はその日のうちに篠田が語ったことをまとめ、翌日、自分の博士論文のテーマとして教授に提出した。教授はほかの学生の刺激になればと思ったのか、「私のテーマ」をゼミで披露した。篠田は一瞬驚き、そして目を伏せただけだった。悲しそうな顔もせず、落胆した様子もなかった。私のほうを見ることさえなかった。私はそのテーマで書いた博士論文が評価され、早坂教授の後継者と目されるようになった。篠田は別のテーマで論文を書いたが、高い評価を受けた。
その頃、篠田には恋人がいた。同じ研究室の2年後輩の香山寛子だった。篠田と寛子は大学時代から付き合っていた。篠田と寛子はよく似ていた。2人とも物静かで決して激することはなかったが、恐ろしいほど鋭く切れる何かを持っていた。卓越した知性がお互いを惹き寄せたかに見えた。私は無性に寛子が欲しくなった。そんな私の気持ちに気づいていたのかいなかったのか、寛子は礼儀正しい冷たさで、私が寛子との距離を縮めることを決して許さなかった。私はますます寛子に執着した。そして、博士課程修了間際、篠田と寛子が婚約したと知った。私は、体の中で暴れまわる獣に内から襲われ、傷だらけになり、どろどろと血を流している妄想に囚われた。夜、布団に入って目を閉じると、体の芯が燃えるように熱くなった。眠りが奪われ、私は限りなく狂気に近い正気にしがみついた。博士論文を仕上げるという執念がかろうじて私を正気の域に繋ぎ留めてくれた。
私は、篠田が早坂教授を侮辱するようなことを言っていると教授に吹き込んだ。上下関係を重んずる権威主義者であった教授は、篠田を厳しく叱責した。篠田は、言い訳することなく黙って最後まで聞いて謝罪したという。教授は、郊外にある私大の職を篠田に充てがった。私は篠田への嫉妬心から開放されると思うと嬉しくなった。寛子への執着心も嘘のように消えた。修了式のあとの送別会で、私は篠田に優しい言葉をかけ、心から篠田の健闘を祈ることができた。篠田と寛子の幸せを願う気持ちすら生まれた。篠田は、私の言葉を素直に受け止め、それまでと変わらず私の成功を讃え、将来の活躍を願ってくれた。篠田が目の前からいなくなる。それだけで私は、陽の光の届かない牢獄に何十年も幽閉されたのち開放された囚人ように、暴力的なまでに押し寄せる開放感に酔った。私は、やっと自分を取り戻せたと思った。
しかし、篠田が大学からいなくなると、私は篠田が私の知らないところで何をしているのか、どんな研究をしているのか、どんな成果を上げているのか、気になってたまらなくなった。私は複数の学会や研究会の発表者をチェックし、学会誌の目次と新刊リストに必ず目を通した。篠田のことを知っていそうな者に会えばさりげなく篠田のことを尋ねた。ただ、どれほど気になっても、決して篠田に直接連絡は取らなかった。篠田に自分が篠田のことを気にしていると悟られたくなかった。漏れ聞こえてくる篠田の活躍は、決して派手なものではなかった。しかし、篠田は確実に実績を重ね、信奉者を増やしているように思われた。そして、私が逆立ちしても敵わない成功を手にして私の前に将来現れるという妄想が私を苦しめ始めた。私は早坂教授を説得して、篠田を呼び戻した。身近に置いて、篠田の一挙手一投足をつぶさに監視することにした。
私は助教授で、篠田は講師だった。篠田は、私の昇進を祝福しながらも、自分が私より格下の講師であることを一向に気にしていない様子だった。それが私の神経を逆撫でした。私は、篠田の研究を私の研究であるかのように発表し、出版した。批判されれば篠田のミスを指摘した。しかし篠田は、何が起ころうと、私が何をしようと、取り乱すことなく考え得る最善の策で対処した。まだ在学中だった寛子は、私の篠田に対する異常なほどの嫉妬心に気づいていた。篠田のことを心配し、篠田を包み込むような優しい表情で見つめる寛子を見るにつけ、私は寛子への執着心を再び募らせた。そして、誰もいない夜の研究室で寛子とふたりきりになった私は、寛子に関係を迫った。力の限り抵抗する寛子に「言うことを聞かないと、篠田を破滅させてやる」と脅した。寛子は、歯を食いしばり、涙を流して私に従った。行為は私の気紛れに任せて繰り返された。程なくして、篠田と寛子が別れたと聞いた。しかし、私は信じられなかった。寛子を絶対に篠田に奪われたくなかった。私は、虚ろな目をした寛子と結婚した。寛子は研究をやめた。
私は、4年にわたり篠田を奴隷のように思いのままに搾取した。そして玩具に飽きたかのように篠田への関心を失った。寛子との間に子供ができたのだ。篠田には寛子との子供はいない。私はやっと完全に寛子が自分のものになった、決して篠田に奪われはしないと確信した。篠田はそんな私の心境の変化に気づいたのか、やはり寛子に子供ができたことに衝撃を受けたのか、別の大学に助教授の待遇で移っていった。私はもう邪魔するようなことはしなかった。篠田の助けがなくてもそれなりの研究実績を積み重ねた。2人目の子供も生まれた。私はなぜあれほどに篠田に拘り、篠田に嫉妬したのか。自分のしたことを振り返って恐ろしくなり、激しい悔恨の念に駆られることもあった。その分、寛子を大切にした。寛子には言葉で謝罪こそしなかったが、寛子は私の愛情を素直に受け入れ、私は許されたと感じることができた。私は、優しく賢い妻と2人の可愛い娘に囲まれ幸せだった。その後、私は順調に教授に昇進し、52歳で学部長になった。研究にも、後進の育成にも真摯に取り組み、大学での出世競争への私の関心は薄れていった。篠田のことを思い出すこともなく、穏やかで充実した学究生活を送り、慣例に従って62歳で退官した。私立大学で客員教授として教壇に立って2年が過ぎた頃、寛子が倒れた。ステージIVの肝臓がんだった。私は客員教授の職を辞して、寛子の世話をすることにした。
がんの告知から7ヶ月、家で療養していた寛子は3度目の昏睡状態に陥った。主治医は「今度こそ覚悟してください」と私に告げた。私は、寛子の手を握る私の手を寛子が握り返すのを感じ、「寛子」と繰り返し呼びかけた。すると寛子は目を開けた。そして、昏睡状態にあったとは思えない澄んだ瞳で私を見た。そして「洋ちゃん」と学生時代と同じように篠田を呼ぶと、再び昏睡状態に陥った。その約2時間後、寛子は帰らぬ人となった。篠田が私の前から姿を消して28年が経っていた。私の中の獣が目を覚ました。目を覚ますやいなや、押し寄せる怒りと痛いほどの苦悩を餌に暴れだした。篠田という男はいったいなんなのだ。43年前に私の前に現れ、私を嫉妬に狂う獣に貶め、いくつもの罪を犯させ、贖罪の果てにまだ私を苦しめるのか。私は荒れ狂う獣をなだめる術を思いつかなかった。ただ1つの例外を除いて……。
私は家族だけの葬式を済ませると、篠田を自分の研究室に呼び出した。寛子の死を知った篠田は、僅かに顔を歪めた。次の瞬間、篠田は私が見たことのない悲しい表情を浮かべた。私は、篠田が寛子に思いを残したままこの28年間生きてきたことを悟った。篠田と寛子は、別れて、別々の人生を歩み、互いに会うこともなかった。寛子に至っては私と結婚し、子供までなした。それでも2人は愛し合っていたのだ。私は、もはや私の中の獣を抑える必要を見出すことができなかった。気づくと、私は机に置いてあったはずの青銅の梟の置物を手にして立っていた。ずっしりと重い梟からは、真っ赤な血が滴り落ちていた。私の足元には、頭から大量に血を流した篠田が仰向けに倒れていた。篠田の頭の下には大きな血溜まりができていた。篠田の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。私は、篠田を殺してしまったという衝撃から酷い吐き気に襲われていた。そして、こみ上げる刺激性の苦い液体と闘いながらすべてを理解した。誰が何をしようと、どんな不幸に見舞われようと、篠田は冷静さを失わず最善の選択をした。私はその篠田の強さが気が狂いそうになるほど羨ましかった。篠田はどんな状況に陥ろうとも自由だったのだ。私は篠田のように自由になりたかった。自分には絶対に無理だと分かっていた。しかし受け入れられなかった。そして自分の中に獣を生み出した。篠田のせいじゃない。自分が獣を生み出したのだ。でもこれでやっと逃れられる。篠田のように強く自由になりたいという不毛な望みから。残りの人生、刑務所という自由も選択の必要もない場所で暮らせるのだから。
*執筆会の巨人、大江健三郎さんが他界されました。氏を偲んで書いてみました。
Copyright 2023 そら
*本作品は、小説家になろうにも掲載しています
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