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体の感覚を感じる理由人生これだけかもよ

まずどんな理由であれ今しんどい人は
気がついたら思考のストーリーに入り込んで、深刻さ、不快さ、思い煩いの中にいる。それは、今ここ、あるがままを忘れている状態。


今ここにあるリアルなもの


今ここには、体の感覚がある。今ここでしか感じられない、リアルな感覚。思考は虚構を追いかけてあーでもないこうでもないいったりきたり、何かを探して、自分を安心させようとしているんだけど、探しものは外にあるんじゃなくて、今この瞬間にある。

なので、

体の感覚に意識を向けて
感じてみる

自分の感じやすいところで。
思考とか感情が現れても今はとりあえずほっておいて、体のチラチラしてる感覚を感じてみる。

体の感覚を感じていると、
途中で、

で、結局これなんなの?笑

みたいな思考が現れるんだけど、

それを一旦追わずに、ほっといて、
そういう思考が出ることがいけないとかじゃないくて、勝手に湧いてくるからそれは、

それを傍に置いておいて、掴もうとせずに

ただ感じるをつづけてくと今にあるということがわかってくる。

別に
思考があるのは悪いことじゃない、感覚も


勝手に現れるものだから。だからこれはダメって消そうとしてもうまくいかない。自然に現れるものだから。天気みたいに。雨が降ったり、風が吹いたり、晴れたりみたいなのと同じ。


なので、それに意味づけもせず、追いかけないで、そのまま、捕まえず、わからないままにしとく。わからないままにしとくってのが、思考は苦手なんだけど、とりあえず今だけ何も掴まずそうしてみる。

余談だけど、
よく思い込みを外そうみたいな試みがあるけど、思い込みってのは、自分で外せないと思うんだよね。思考で意識的に外せるならみんな外せてるしね。なので、思考でどうこうするんじゃなくて、
そこから
距離をとる。
思い癖の思考のわだちがあって、思考の中でいじくりまわしても、またそのわだちに入っていくから
そうではなくて、そこから距離を置いて、ほっておいて
今ここにあるものをただ感じる。


感覚を感じてるときは、紛れもない今ここに溶け込んでいく。それはどこかに到達するのではなくて、既にあるものに溶け込んで行く感覚。

もうすでに、誰もが今ここにいるんだけど、思考がぐるぐるしてる時はそれを忘れている。頭にかけたメガネをずっと探しているような感覚。
意識の当てどころというか。認識の変化というか。気づきというか。

また

いつやればいいのとか、どのくらいやればいいの?

みたいな事を考えるのだとおもうけど、
感覚を感じるのは、
いつでもいいし、長さも決まりもない。
無理にするのではなくて、気づいた時、気が向いたときにゆったりやってく。それに義務感があったり、強迫観念があるとしんどくなっていくし、それってどこかに辿り着くために力んでる状態だからうまくいかない。そうなったとしても、それが悪いわけじゃないんだけどね。

もともと
頑張り屋さんて、どこか空回りするところがあるから、少し落ち着いて、気持ちいいを目指すよりも、心地よいを心がけると楽になっていくし、スムーズにものことも進んでいくよ。

頑張ると続かない、心地よいと続く。
続けるために意識するわけじゃないんだけどね笑

やりたかったらやったらいいし、やりたくなかったらやらなかったらいい。

感覚を感じるの話に戻すけど、
そうしていくと、その状態が
こちらから感覚を感じようとする状態から、勝手に感じられているって風になっていって、
それが当たり前になってくる。無意識的にね。
そうなると、気楽になってくる。

探していたものが、ここにあったんだと気づいてくる。
気づけなくて、早くそれを見つけたくて無理にやっていく必要はないからね。
徐々に感じるを続けてると、ある時に気づくことだから。こういう話が好きな人は早く到達しよう!みたいな、力みがある人が多いと思うから、そういう自分に気づいて、少しずつ緩めていって、ただ感じることを楽しんでみる。
結果を得るために何かをするんでなくて、
何かをただすることを楽しむ感じ。
痩せるためにランニングをするとかじゃなくて、
ただ走ることを楽しむみたいな。

体の感覚は、あるがままをダイレクトに伝えてくれる。段々とわかってくるから焦らずに。


セルフでできるワークとしてオススメ

は、

ワークって聞くと
しっかり取り組もうみたいな思いをまったりする人もいるとおもうけど、
遊ぶような感覚でやってください。
強迫観念的にやらなきゃとか、ではなくて。

まず、自分の中で感じやすい一つ感覚をえらんでください。
足の裏、呼吸、体全体、手のひら、お腹の中の感覚、なんでも。自分の感じやすいものを。

で、
一日できるだけ、その感覚を感じてみよっとやってみる。ゲーム感覚で。

まあ、これはほんとにつづかないのだけと笑
忘れたりするんだけど、また気づいて、できるだけやってみる。そのままずっと忘れてもいいんだけどね笑

これをやっているとあることに気づいていくんだけど
それは、感覚を感じる退屈さになれると、ほっとする感じが感じられる。すごい動いた後の爽快感とかじゃなくて、温泉に浸かって一息ついているような感覚。

そこで、あ、ここにあったんだと
気づく。

多分思考にしょっちゅう入り込んでて、感覚から離れているから、生きてる感じや臨場感がなくなって、その埋め合わせを外側でしようとしてるところがあるんだと思う。

普段当たり前過ぎて目を向けてなかった感覚に、意識的に目を向けていくことで、
当たり前だと思ってた感覚の質が上がる。それが至福というか、当たり前の感覚がクリアになっていく。
至福って言葉はどこか到達するみたいなイメージを沸かせると思うから、ちょっと使うの抵抗があるけど。生が躍動するの方がいいかも。

到達するために頑張ろうとするのではなくて、元に戻っていく感覚。

まぁ、
とりあえず、気張らずやってみること

何度も内容重複しちゃうけど、
苦しみながらやるのは、何かを手に入れようとしてる感じだけど、
苦しみの反対の楽しみながらやるは、楽しんでで気楽になっていって、緩んでいくんだよね。
力んだ先に何かを得るんじゃなくて、緩んだ先にここに気づくというか。

ここは、言葉で説明するのも
シンプルなんだけど細かなニュアンスの違いがあるから、わからない人はコメントしてください。

このワークこんつめてやってくれていいけど、
しんどくなったら思い出したらやるくらいにして。
しんどくなってやってもいいけど、自分の裁量で決めてみて。
結局、続くってのは心地いいところだから、気持ちよさを追わない。心地いいでゆるーっと。
ま、どっちでもいいけど。

ではでは〜

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