ふみ もとこ

表現しながら生きてます。絵を描いたり、写真を撮ったり撮られたりするひと。

ふみ もとこ

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  • セルフポートレート写真集

  • 作詞したやつ

    実は作詞作曲もします。作詞した歌詞をまとめてます。

最近の記事

スピリチュアルっぽい話。

「スピリチュアル」っていう単語を発するだけでいろいろと先入観とか持たれかねないかなあ、と思うので予め言っておきますが、私は特定の宗教をアレしていたり特別オバケの類が見えたりする訳ではないです。なんらかの団体に加入しているとか、それっぽい講義を受けたりみたいなことも無い。ファンタジー的要素はね、あったらいいなの精神です。神様も描いているのでね。私の神様観については作風から判断してとしか言えない。 で、何でいきなりスピリチュアル?というところですけれども、シャワー浴びてたら過去

    • 現在地。

      漠然と、心細さみたいなものがずっと付き纏っていた。小さな頃から、ずっと私は「半分だけ」のような気がしていた。足りないというか、欠けているような。それが何なのか分からずにいた。 誰にも理解されない。 自分の内側にあるものもよく分からず、気がつくといつも独りになって、傷ついている素振りをした。 きっとそれはすごくシンプルな答えで、 好きなものを、やりたいことを「いいじゃん」って言ってくれるような、自分で自分の好きを否定しなくてもいいような、それだけのことだったんじゃないかと

      • たとえばぼくが死んだら

        自ら命を絶つことはこれっぽっちも考えていない。 けれど、いざそうなった時に、「あのひとはこうだった」「やさしい人だった」みたいに、よく分からないひとに語り尽くされるのは何となくいい気持ちがしないので、ぼくなりのぼくをここに記しておく。 もちろん、未来のぼくがどんな人間であるかは知ったことでは無いから、いつまでも当てはまる話ではないのだろうけれど。 ぼくが死んだ時に、ぼくが語ってほしいぼくの姿の話をしよう。 「よく絵を描いているやつだった」 「動物が好きなやつだった」 「

        • 今年もそろそろ終わるね。

          皆様ごきげんよう。 ふみもとこです。 何となく12月は、気がついたら1年を振り返るフェーズに突入していて驚きますね。思えばこの1年…なんだかとんでもなかったような気がします。去年が割と休息に極振りしてたのもあって、反動でしょうか。 1月、年明け2日目から高熱で1週間部屋から出られず。 2月には念願だった画集、エンド・エデンを販売開始できて初版は完売させていただけて。 3月にはなんとなく「うーん、社会復帰……する?」くらいのメンタリティになり、4月、5月と東京に戻って体を

        スピリチュアルっぽい話。

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        記事

          デザフェスでした。

          先日はどうもありがとうございました。 ふみもとこです。 11日、12日とデザインフェスタに参加してきました。 今回はライブペイントだけでなくて初めてのショーステージもやりました。 10月いっぱいまで取り組んだ音源制作、本当に心を何度もへし折りながら完成させて、デザフェスでも歌が歌えて、こんなにラブソングに向き合ったのは人生でも初めてかもしれません。 幸せとは?愛とは?という、人生の二大巨頭哲学みたいなやつをひたすら突き詰めて、今年の表現活動を走りきった心地がしています(こ

          デザフェスでした。

          アイラブユートゥー、あなたが言って。

          ずっと私は押し潰されそうな気持ちだったのに、何故かそんな気持ちにはならなかった。 あんなにおおきく聳えていた目標だったのに、通り過ぎてしまった瞬間にものすごい速さで遠ざかって行く。 まだほんの昨日、一昨日のことなのに。 あっという間だった。 けれど確かに何かが変わったような、動いたような、そんな感覚がある。「執着を手放す」ことがどういうことなのか、わかった気がする。 「いま」を強く愛すること。 目の前にあるものを見失ったらいけない。 目を逸らさずに。 逃げたって構わ

          アイラブユートゥー、あなたが言って。

          核心。

          辿り着いた、と言うべきだろうか。 きみと出会ってからというもの、あてどなく、ずっと自分と対話をし続けてきて、そこにあるはずの何かを日々の余白の中に追い求めてきた。 ぼくが欲しい答えはなんだ?その問いすら分からないまま、ぼくはぼくとの対話を繰り返し続けた。 そしてようやっと、ぼくは辿り着いた。 それは確証だった。 きみを理解出来ているということの。きみの考えていることへの推測に対しての。 きみの言葉が欲しかった。けれど、きみは真意を自ら発することはほとんど無かった。ぼく

          「絶体絶命なラブソング。」に込めたもの。

          皆様ごきげんよう、ふみもとこです。音源がリリースされました!もう聴いて下さった方もいらっしゃるかもしれません。ありがとうございます。 さて、デザインフェスタの前後で多分このアルバムに対する解釈が自分の中でも変わっちゃいそうな予感がしているので、現段階で込めた思いだったり、予想外に「こんな繋がりになっちゃってた」っていう気づきについて書いていきます。 作り始めた当初は、とにかくロックバンドのイメージがあって、それ故にシンセ禁止、べードラは打ち込みでギターは何がなんでも弾いて

          「絶体絶命なラブソング。」に込めたもの。

          アルバム作りながら思ったこと。

          「絶体絶命なラブソング。」と銘打って、10曲入りのアルバムを作り始めてから早数ヶ月。途中でボツにした曲もあるけれど、なんとかようやく完成系が見えてきた。 データに触っては書き出して外出中に延々と聴いて風呂場で聴いて洗面所でもベッドに入ってからも聴き返して、また修正してっていうのをひたすら繰り返してるわけだけど、やっぱずっと聴いているといろんなことを考える。 もちろん、編曲のこととか、期限のこととか。そういう当たり前のところは置いておいて、もっと内面的なところ。忘れるの勿体

          アルバム作りながら思ったこと。

          愛とは。

          皆様ごきげんよう。絶賛風邪っぴきのふみもとこです。 熱を出していると不思議と考察も捗るもので、 いよいよこの話を皆さんにしてみる時が来たな……!と思ったので、書いていきます。誤解がないように予め言っておきますが私は宗教家ではありません。哲学は好きです。思想を広めたい訳ではなくて、「こんなん考えたけどみんなの意見はどうや」って感じで、広い海に手紙の入ったボトルをぶん投げてるようなものです。 さて、今回のテーマはタイトル通り、愛とは何なのか?について私なりの解釈というか考察です

          夢を掲げることについて。

          神社で風に吹かれている時に、ふと思いついたこと。 忘れないようにメモしておく。 境内で空を眺めて、ぼんやり「夢が叶うといいなあ」と呟いていた。 ふみもとこ、これでいて今年で29歳になるいっぱしの大人である。 なんとなく大人になると、現実感というか、「堅実に生きなくてはいけない」みたいな考えに囚われがちだ。 お金のことしかり、家族のことしかり、 まあ義務というか未来への責任みたいなもんだと思う。 その流れで、なんとなく「夢を見ていいのは20代まで」とか、「いい年こいて絵

          夢を掲げることについて。

          あと1週間で世界が終わるとして

          これは、最近思いついたこと。Twitter……じゃなくてXにもツイート……じゃなくてポストした。 あと1週間で世界が終わってしまうとしたら、 自分は何がしたいか。 っていう問いかけを自分にしてみると、本質的な欲求というか、本当に自分がやりたいこと、在りたい様が浮き彫りになるんじゃないか?っていう仮説。 だって、自分も世界もあと1週間で終わっちゃう。 やることやその結果に意味を考えることも、後悔することもきっと出来ない。 1週間より長すぎても短すぎても駄目。せいぜい10

          あと1週間で世界が終わるとして

          絶体絶命のぼくたちへ

          絶体絶命のぼくたちへ 作詞作曲 ふみもとこ   夏色セーラー眩しくて 少女は美しい きみは ひかりにまつ毛を伏せた 大人になった ぼくたちは 取り戻せないことがあると知った ビルに反射して 空に染まったまちを きみは 死んだ色だねって笑った 大人になった ぼくたちは 「自由」が言葉遊びであると知った そのうちいつの日か 会えなくなることを きみは 巡り合わせだって言った 大人になった ぼくたちは 怖いのは「死ぬ」よりも「孤独」と悟った 波のさざめきに 思いを馳せている きみは いつまでも美しかった 大人になった ぼくたちは これが愛なんじゃないかと謳った 手を離しても 遠く離れても ぼくは きみのことを想っていた 大人になった ぼくたちは 愛が何か よく分からなくなった それでも 明日も 生きていくしかないんだ

          絶体絶命のぼくたちへ

          絶体絶命のぼくたちへ

          最近ふみもとこを知ってくれた人が知らなさそうな10のこと。

          特に意味は無いです。 01. 活動当初の名前は「其の子。」 →2019年から2020年冬まで使っていた名前。 02.デザフェス初出展は2019年5月。 →この時はまだ名刺がなく、来てくれた人には手描きした。 03.個展はこれまでに通算3回開催された。 →2019年夏「85%の憂鬱と、13%の空白と、2%の至福。展」、2021年夏「内包されたぼくらの群像劇。」、2023年夏「ただ、ぼくたちに祝福を。」 04.人気作品に「夜想人獣シリーズ」がある。 →作画方法の転換からほ

          最近ふみもとこを知ってくれた人が知らなさそうな10のこと。

          其の屋。の盛大で壮大な未来の話。

          今は店長代理とふるみちゃん、それから店主のふみもとこの3人(?)体制で概念として存在している其の屋。だけれど、いつかちゃんとした拠点として店舗を構えたいなあと思うようになった。 まあ昔から、自分のお店的なものに少しの憧れはあったのだけれど、現実的に考えた時になんのお店をやるんだ?というところで想像が止まってしまっていた。 この間個展をした時に、私の絵をじっくり見てくださる方々を私はじっくりと眺めていた(不躾)。 そうしているうちにふと、1つの可能性のようなものを見つけたの

          其の屋。の盛大で壮大な未来の話。

          泣きたくなったんだ。

          ※多分めちゃくちゃネガティブなことを書きます。悲しくなりたくないひとは見ない方がいいです。 あの時、私は23歳とか24歳とか、そんなもんだったと思う。創作活動をしている「其の子。」が生まれたのと同じくらいの時期だ。 私は、壊れてしまっていたんだ。 透明な鎖を首にかけられていて、虚ろで、全てがどうでも良かった。自分のことなんか、どうだってよかった。 自由になりたかった。 自分の居場所がどこにもなくて、表現の中でしか自由に泳げなかった。息が出来なかった。 毎晩のように声

          泣きたくなったんだ。