ふみ もとこ

表現しながら生きてます。絵を描いたり、歌を歌ったりするひと。

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    実は作詞作曲もします。作詞した歌詞をまとめてます。

最近の記事

ふみさんの休日。

時々、「休みの日は何をしてるんですか」と訊かれることがある。その時の気分でテキトーに答えるけれど、こうやって家で絵を描いていることはお絵描きさん以外にはあんまり言っていない。他意はない。 休みの日はほとんど家から出ない。 生活に必要なものは平日仕事帰りに買って帰ってきて、用事が無ければ家に引きこもる。 出かけるとしたら、お母さんが来ている時に一緒に買い物に出るか、ふみフレンズに声をかけてもらって展示を見て回ったりするくらい。 自分から人を誘うことは滅多に無い。 どうしても行

    • 考えんの、やーめた。

      こないだ初めて手相を見てもらった。 「手相薄いわ!」 って言われるまで、手相が薄いことを知らなかった。 それから、「いろんなことをたくさん考え過ぎね」 って言われた。 もっと直感を信じていいって。 そんなに考え過ぎなくていいって。 考えるのはクセのようなもんだ。 ひとつ何かを決めるために、自分も周りも納得するような真っ当な理由を探す。 理由が見つからなくても、とにかくそうすることを自分に許してもらうための理屈を捏ねるクセ。 1回やめてみるか、そういうの。 やめようと

      • 愛について。

        エーリッヒ・フロムの邦訳、愛するということを3周読み終わるまでの間に、私の世界観も少しずつ変わってきた。 愛ってなんだろう。 2、3年くらい前からずっと愛について考えている。自分の中で納得のいく、確かな答えのようなものがほしかった。自分が持っている気持ちをちゃんと解りたくて、考えている。 分かったのは、はっきりコレと定義づけられるものではないということ。 ひとりひとりの暮らしの中で、持てる愛は異なるけれど、共通の性質はあるということ。 そして、その性質は言語の外側にあ

        • 過去の自分が残したメモを読んだ。

          iPhoneに初めから入っているアプリのメモ帳に、何かを思うたびに書き込んでいたのを思い出して久しぶりに読み返してみた。 想像の10倍くらいヤバかった。 何かを盲信しているような、必死さ、危うさ。 いや、今だって必死だし危ういけれど、今よりずっと焦燥感に塗れてた。びっくりした。 自分のことなのに、共感が出来なかった。 私は変わってしまったんだなあと思う。 多分それは悪いことじゃない。 依存や執着みたいなものがいくらか軽くなったんじゃないかなあ。 頑張ったね、と抱きしめ

        ふみさんの休日。

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        記事

          これだな、と思った。

          ずっとどうしたら目の前の景色が変わるんだろう、と考えてきたけれど、その答えが これ なんじゃないかなって思った。 きみが、私に向けてくれているであろう思いがちゃんと存在していて、それはあたたかいものであること。 それを信じなさい、と言われている感じがする。 受け入れなさいって。 心のどこかで自分や世界のことを疑って、 そうすることで傷つくことから自分を守ってる。 期待が裏切られるのが怖いからかしら。 期待とかじゃなく ただ当たり前に、そこにあるって信じてみよう。 信じ

          これだな、と思った。

          どうしたって曖昧だ。

          「早く楽になりたい」 クタクタになって電車に揺られる帰り道、そんなことをよく思う。 けれど、具体的にどうなったら「楽になった」と思えるのか、私には分からない。 なんとなく今がつらくて、 そのつらさから逃げ出したいのかな。 とてもじゃないけれど、今の環境に満足しているとは言えない。 そりゃあ、今は命令してくる人もいないし、 私を閉じ込めようとする存在もない。 前まで感じていた「つらさ」は、どこかに行ってしまった。解決した、という感じ。 今私を楽になりたくさせているもの

          どうしたって曖昧だ。

          ふみと精神科。

          待合室にはいつもどこかで聴いたようなBGMが流れている。いまの病院は5つ目。 精神科に通い始めて随分経つ。 初めは適応障害って言われて、今はPTSDって言われてる。実際のところ、どちらだっていい。 薬を飲んでいて、たまに飲み忘れるけど普通に暮らしてる。 前ほど、重要な存在じゃない。 その1ヶ月にまつわる話を少ししたら、薬を貰う。 周りの人は、私を病気だって言う。 それも、あんまり重要なことじゃない。 クヨクヨしやすいのは昔から。 その都度立て直してきたのも昔から。

          ふみと精神科。

          心の痛みを手放したいので。

          これから書くことは、自分のためのアウトプットなので、もしかしたらネガティブな表現が多くなるかもしれません。読む方は注意してください。 「お前は間違っている」 「お前は自分の行動を正しいと思うのか?あるいは間違っていると思っていてもその行動をするのか」 ふた月ほど前に言われた言葉だ。前後の文脈については割愛。私の頭では、この時言われたことを矛盾なく説明出来ないから。未だに理解が出来ていないから。 この時のことがずっと頭にこびりついていて、 これによって起きた心の変化が私は

          心の痛みを手放したいので。

          恋の話。

          最近占いが全部同じことを言うようになった。 「占いなんてそんなものだよ」 と、言う人もいるんじゃないかな。まあそれでも 私にとってはカードリーディングくらいしか、好きな人の心を想像する術がいまは無いから仕方ない。 占いが何を言っているのかはあとに書くとして よく口にする好きな人に対しての今の想いについて先に書いて置く。 どうだっていいって訳じゃない。 特別であることには変わらない。 でも私の日常の風景に、あの人はいない。 こんなことになってから、他の人に恋をしてみようと

          ゆらぎ、断片化する日々。

          なにか、ひどく、あいまいだ。 水彩絵具をほんの微かに載せた面相筆の先で、 水滴をなぞった時みたいな、 そこにあるのか無いのか分からないほどの曖昧さで、 今日のぼくは存在していた。 幽霊ですらもう少しハッキリ存在しているんじゃないだろうか。 呼吸音。心音。骨が歪み筋肉が擦れる音。 自分が発する音に耳を澄ませてみた。 ドラマの最終話、彼女が落とした言葉をいまさら拾ってみるなどする。 きみ? 時間がこの方向性で進むことを決めたのはいつだったのだろう。過去を眺めることを、

          ゆらぎ、断片化する日々。

          名前の話。

          皆様ごきげんよう。ふみもとこです。 今日は、私自身の名前についての話をします。 要所要所で、聞かれたら答えていたことですが 私の活動初期は「ふみもとこ」という名前ではありませんでした。 其の子。 これが私の名前でした。 名前を変えたのは、そもそも作家として活動するどころか、表立って誰かに名乗るためにつけたような名前でも無かったからです。当時ゲームのアカウント名だったのを、情報収集用に作ったTwitterのために漢字に直したのが始まりでした。 写真の被写体になってみた

          最近どうしようもなくつらい件。

          タイトルの通り、3月頃から創作活動外で起きているいろいろなことが本当に心をすり減らしていて いよいよ心の病の再発(とは言ってもずっと服薬はしているけど)が見えてきたので、ここいらでちゃんと立て直さないとなあ、と思った。 最近はずっと、トゲトゲした言葉や空気の中に晒されている感じだ。その中にいると何故か自分までトゲトゲしていって、人の悪いところばかりに引き摺られてしまう。私はそういう自分にはなりたくない。 関わる人には出来るだけ、やさしい気持ちで過ごしてほしいし私もやさしい

          最近どうしようもなくつらい件。

          私が絵を描く意味。

          デザフェスを経て、改めて思ったこと。 作家なら誰しも、「自分がこれをやる意味はあるのか」と思う瞬間がきっとあるのではないかと思う。 特に今の世界は、見たくなくてもたくさんの情報に触れてしまうし、その中には自分よりも圧倒的な才能だってある(勿論、私のいう才能は生まれ持ったセンスのことだけじゃない)。 私がやらなくったって。 そう思わざるを得ないタイミングが何度もあった。 本当に何度となく。作家としての心が折られる瞬間はあった。 それでも筆は折らないでいた。 それで良かっ

          私が絵を描く意味。

          きみ、ぼく、ぼくたち。

          皆様ごきげんよう。 ふみもとこです。 デザフェスでした。今回で8回目の出展、5回目の巨大ライブペイントでした。 作品を見てくださった皆様、来場の有無にかかわらず応援してくださった皆様に心の底から感謝しております。 毎回ライブペイントをする時はいつも、「大切な人に届けばいいなあ」と思いながら絵を描いていました。 今回もそれはそうだったのですが、ひとつ到達点を見出すことが出来たので次回からはまたスタイルを変えていくんじゃないかな?と思います。 大きな大きな物語を描き終えたな

          きみ、ぼく、ぼくたち。

          現在地。

          漠然と、心細さみたいなものがずっと付き纏っていた。小さな頃から、ずっと私は「半分だけ」のような気がしていた。足りないというか、欠けているような。それが何なのか分からずにいた。 誰にも理解されない。 自分の内側にあるものもよく分からず、気がつくといつも独りになって、傷ついている素振りをした。 きっとそれはすごくシンプルな答えで、 好きなものを、やりたいことを「いいじゃん」って言ってくれるような、自分で自分の好きを否定しなくてもいいような、それだけのことだったんじゃないかと

          たとえばぼくが死んだら

          自ら命を絶つことはこれっぽっちも考えていない。 けれど、いざそうなった時に、「あのひとはこうだった」「やさしい人だった」みたいに、よく分からないひとに語り尽くされるのは何となくいい気持ちがしないので、ぼくなりのぼくをここに記しておく。 もちろん、未来のぼくがどんな人間であるかは知ったことでは無いから、いつまでも当てはまる話ではないのだろうけれど。 ぼくが死んだ時に、ぼくが語ってほしいぼくの姿の話をしよう。 「よく絵を描いているやつだった」 「動物が好きなやつだった」 「

          たとえばぼくが死んだら