過去の自分が残したメモを読んだ。
iPhoneに初めから入っているアプリのメモ帳に、何かを思うたびに書き込んでいたのを思い出して久しぶりに読み返してみた。
想像の10倍くらいヤバかった。
何かを盲信しているような、必死さ、危うさ。
いや、今だって必死だし危ういけれど、今よりずっと焦燥感に塗れてた。びっくりした。
自分のことなのに、共感が出来なかった。
私は変わってしまったんだなあと思う。
多分それは悪いことじゃない。
依存や執着みたいなものがいくらか軽くなったんじゃないかなあ。
頑張ったね、と抱きしめてあげたい。
愛の何たるや、が多少は分かるようになったのかな。
きっと誰のことも愛せるほどに、私はいま自分自身をちゃんと愛していることに気がついた。
一番に衝撃的だったのが、好きな人に対する想いの変容だった。
特別で、大切であることは過去も今も変わらない。
でもその性質というか、密度?なんだろう、何かが大きく変わってしまっていた。
前まで、愛する人のことは自分の全てで大事にして、幸せにしたいって思っていた。
今はそうじゃない。幸せであってほしいって思うけれど、「あなたがあなたを幸せに生きることを私の位置で応援している」って感じ。そしてあの人が豊かに生きていくことを信じている、って感じ。
特別に何かしてあげたい、っていうこともなくて、強いて言うなら私が楽しいからあそこに連れていきたいとか、そういう感じになっちゃった。
あの人のために何かしようっていうより
あくまで私自身のために何かしたいって感じ…
誰に対しても、今は割とそうなのかも。
私がこうしたいからこうする、があって
誰かを幸せにしてあげようっていうのはない。
みんな幸せであれ!っていうのは根っこにあるけど
みんな勝手に幸せになれ!みたいな
あくまでみんなの幸せのために何かを考えて行動はしているつもりだけど、
みんなが幸せになりやすいような土壌を整えているに近い。みんなの幸せは、それぞれ自分で種まいて咲かせてもらわないといけないから私がどうにかできるもんでも無いし。
愛が何か、分かりつつある。
愛せるようになりつつある。
変化していること。それが分かった。
過去を見て、今に気づいた。
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