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愛について。

エーリッヒ・フロムの邦訳、愛するということを3周読み終わるまでの間に、私の世界観も少しずつ変わってきた。

愛ってなんだろう。

2、3年くらい前からずっと愛について考えている。自分の中で納得のいく、確かな答えのようなものがほしかった。自分が持っている気持ちをちゃんと解りたくて、考えている。

分かったのは、はっきりコレと定義づけられるものではないということ。
ひとりひとりの暮らしの中で、持てる愛は異なるけれど、共通の性質はあるということ。

そして、その性質は言語の外側にあって、愛することを通じて初めて分かるということ。言語にするなら、まさに「愛」としか言い表せないだろうこと。他の言葉で置き換えることが出来ない。愛は愛としか説明しようがない。

これは私が自分を、そして他の人達を愛そうとする中で見出してきたことだ。

少なくとも私が感じ取っている愛は、特定の人間関係に限って存在するものではない。


「愛」を実践するにあたって、ひとつの固定観念を手放すことを頑張っている。
それは、愛した末に行き着く関係性があるということだ。例えば恋人関係であったり、友情であったり、夫婦だったり。はっきりと分かる名前のある関係性にたどり着くものだと信じているところがある。

けれど実はそんなこともない。
関係性に名前が無くとも、愛の受け渡しは可能だといことを受け入れようとしている。

これは未来を諦めるのとは違う。

ただ、愛してさえいればいい。

本当に必要となる関係性があるのであれば、
やがて必ずそうなるようになっているから。

愛するために出来ることは、愛することだけ。

想いを伝えるとかじゃないし、態度を明らかにするとかではない。何かしら行動の見返りを自分の外側に求めた瞬間、愛は変質する。

信じること。たとえそれが、世の中の人々の考えと違っても、信じて愛し続けること。
圧倒的な孤独を迎える可能性に対して、勇気を持って信じ続けること。

それをいま、やっている。

自分に対して。それから、自分以外のたくさんのひとたちに対して。
愛せるかどうかは、自分の意志の強さによる。
愛せるかどうかを相手の何かに委ねることは、私が目指す愛じゃない。

揺るぎなく愛し続けられる人間になりたいから、
これからも愛を見つめていきたい。

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