園田ばく

歳を重ねてきました。いろんな肩書きや、役割がいつのまにかついていました。そろそろ何かを…

園田ばく

歳を重ねてきました。いろんな肩書きや、役割がいつのまにかついていました。そろそろ何かを残してみたくなりましたので。作品を作ることにしました。ご期待ください。

最近の記事

【クラシックとは紡ぎ糸である。家族も組織も】

いま、ケリーヨストのピアノリフレクションを 聴きながら、あるイメージが見えてきました。 それを音楽家の奥さんに話したら 「素晴らしい!それがクラシックなんだよ!」 と褒められたので共有します。 まず、いい真空管アンプとタンノイのスピーカー の組み合わせ。 これは、昨年、義理の両親を京都にお連れした時のこと。旅行の手配やドライバーをしたお礼にと義理の父から先月贈られたものでした。 完全カスタムメイドの真空管アンプ。おそらく金額は二桁万円でしょう。そんなアンプで

    • あなたに伝えたい

      昨日のヴィオラレッスンでの気づき。ちょっと詩人モードを発動してみる。 弓が手から生えている 首からヴィオラが生えている そんな木であるわたしは 宇宙にメッセージを伝えたい ヴィオラに触れた弓の先から空へ 空から宇宙へと 一音のひとすじの矢が 放たれる それは わたしからの 地球からの 宇宙へ向けてのメッセージ それは それは 未来への 未来からの わたしに向けてのメッセージ

      • 【欲をふくらませる!】

        よく「欲は無くした方がいい」と、いいますね。わたしも、時々書いていますが、ちょっと誤解があるようなので、あらためて整理しておきたいと思います。 ■1.欲は感性から生まれる当たり前のものである これは感性論哲学者の芳村思風先生から習ったことでもあります。我々は「欲を抑えよ、社会に適合せよ」と教育されすぎて(戦乱の世で有れば正しいのですが)、感性が鈍くなっています。感性で物事を判断する力です。直感!と呼ばれるようなものと思っていただいても、いいですね。 感性を取

        • 見えないギプス

          【気づいてくれたね】 幼少の頃に、足の骨を折った。 対面で何人かで乗れるブランコの間に足を挟んで、ボキン!という音とともにポッキリ折れた。今では、足が入らないように天板のようなものが付いているので、ひょっとするとわたしの事故が世の中の役に立っているのかもしれない。 ギブスをはめて数ヶ月。 ギブスをしていれば、びっこを引きながら歩けるようになった。ドロケイのような遊びにもびっこを引きながら捕まえた人を逃がさない役として参加できるようになった。 しかし、数ヶ月のギブス生活で

        【クラシックとは紡ぎ糸である。家族も組織も】

          カンボジアで涙した話

          年末にご縁があり、ベトナム、カンボジアに行ってきました。クリスマス前のシーズンでもあり、熱い国カンボジアでも、サンタはサンタで真っ赤な電飾の中で、光っていました。 涙したのは二日目のこと。午前中にソーシャルコンパスの中村様の会社に訪問し、プノンペンにある日本人シェフのフランス料理屋さんでランチに舌鼓を打った後のこと。 今回はマーケットとビジネス視察で訪れたので観光は一切入れてなかったのですが、やはりカンボジアで、ポルポトの足跡を感じることは国民性を知る上で必要だとのことで

          カンボジアで涙した話

          二人の父。実の父との思い出はガリガリガリガリ、ぷつ、ぷつ、ぷつ

          経営者である実の父と 哲学者である義理の父 わたしは、ふたりの父からたくさんの生きる学びを頂いている。今日は実の父との思い出を書き留めようと思う。 幼少の頃、会社を作りたての父はいつも家にいなかった。自ら全国を出張で回っていたからだ。 そんな父との思い出は、音楽鑑賞。 オーディオが好きだった父は、寝室兼応接間に立派なステレオを持っていた。 ビクターの大きなスピーカーとアンプ。プレイヤーはパイオニアだったか。もちろん音源はレコードだった。 世界名曲全集というLP10

          二人の父。実の父との思い出はガリガリガリガリ、ぷつ、ぷつ、ぷつ

          大学の卒業論文が出てきた。やなせたかしさんにインタビューしていた

          かなり貴重な資料が出てきた。わたしは大学の卒業論文に、やなせたかし氏と、谷川俊太郎氏の詩人としての比較論を書いた。前提として、第一章で近松門左衛門から始まる、貨幣経済社会としての義理と人情論を上げ、江戸から現代にまで続く「義理=客観」と「人情=主観」の対立構造を語る。 そして、第二章で客観的な自己を描く詩を谷川俊太郎の詩集からあぶり出し、主観的な自己を描く詩をやなせたかしの詩集からあぶり出した。 その差は、主体としての戦争体験者(徴兵されたやなせたかし氏は、弟さんを特攻隊

          大学の卒業論文が出てきた。やなせたかしさんにインタビューしていた

          住職のおばあちゃんがね、わたしに土下座をしたのよ

          以前、義理の弟の次男の初節句のお祝いの席で、隣に座った岩井さんという方のお話を聞いた。私と奥さんが結婚した時から、もう10年以上お世話になっている方だ。岩井さんは、わたしの母と同年代の女性。80歳に近くなったがいつも柔和で優しい人だ。 「こんなこと話したことないんだけどね」 といいながら長い長い身の上話を、話してくれた。 時は戦中戦後。 彼女は中国本土にいた。当時幼かった彼女は、父親の仕事に日本から家族でついてきていた。満州を経由して訪れた本土で、中国人の使用人をかかえて

          住職のおばあちゃんがね、わたしに土下座をしたのよ

          哲学者の父、経営者の父

          結婚した相手がお寺の娘だった。お寺に縁もゆかりもないわたしがなぜ、そんなことになったのか未だによくわからない。ただ、好きになった女性がたまたまお寺の娘だったというだけだが、わかっているのは、それで良かったのだということだ。お寺の住職である義理の父は、天台宗でありながら臨済の門を叩いた、修行者であり生粋の哲学者だった。初めてゆっくり話をした時に、「コマはどんなに早く回っても、その場からうごかないんだ」と伝えられた。頑張るだけでなく、進みたい方に身を傾けろ!との哲学的な教えだった

          哲学者の父、経営者の父

          2020年 小説家デビューします

          昨年の夏頃、芳村思風先生をお呼びしたプライベートな会がありました。20数人の会でしたが非常に充実した会であり、なぜか一人一人やりたいことを宣言することになりました。 「今日は最近あった過去のことではなく、未来について宣言しましょう」 とわたしが、みなさんを誘ったのかもしれません。一人一人の未来への宣言を聞きながら、いざ自分の番が来た時に、口から出た言葉。 「わたしは、これから小説を書きます。なにか形に残すことをしたいからです」 言葉にして自分が驚いた。内緒で落とし穴を

          2020年 小説家デビューします