哲学者の父、経営者の父
結婚した相手がお寺の娘だった。お寺に縁もゆかりもないわたしがなぜ、そんなことになったのか未だによくわからない。ただ、好きになった女性がたまたまお寺の娘だったというだけだが、わかっているのは、それで良かったのだということだ。お寺の住職である義理の父は、天台宗でありながら臨済の門を叩いた、修行者であり生粋の哲学者だった。初めてゆっくり話をした時に、「コマはどんなに早く回っても、その場からうごかないんだ」と伝えられた。頑張るだけでなく、進みたい方に身を傾けろ!との哲学的な教えだった