二人の父。実の父との思い出はガリガリガリガリ、ぷつ、ぷつ、ぷつ
経営者である実の父と
哲学者である義理の父
わたしは、ふたりの父からたくさんの生きる学びを頂いている。今日は実の父との思い出を書き留めようと思う。
幼少の頃、会社を作りたての父はいつも家にいなかった。自ら全国を出張で回っていたからだ。
そんな父との思い出は、音楽鑑賞。
オーディオが好きだった父は、寝室兼応接間に立派なステレオを持っていた。
ビクターの大きなスピーカーとアンプ。プレイヤーはパイオニアだったか。もちろん音源はレコードだった。
世界名曲全集というLP10枚のボックスを丁寧にあけて、そっとレコードを取り出し、ターンテーブルに置く。
ゆっくりと盤面が回り始める。盤面の文字が目で追えるくらいのスピードだ。そこに手でそっと針を落とす。たった数ミリの幅に、間違わないように、衛星の着陸のようにゆっくりとタッチダウン。
オーケストラが、ジャジャジャン!と鳴り出す。
音楽鑑賞のお供は、コーヒーだった。コーヒーが趣味だった父は、サイフォン式のコーヒーメーカーを持っていた。豆をひくミルも、武骨い真鍮で出来た手動のものだ(後半は電動式になったけれども)
カラカラカラと、真鍮のミルに父が豆を入れ、ガリガリと手で回す。
ガリガリガリ、ガリガリガリ、、、香りが漂ってくる。
アルコール燃料独特の青い炎が立ち上がり、幅広口のビーカーのようなガラスの器が温められ、やがて気泡が湧き上がる。
わたしは、なにもないところから次々と生まれる泡をじっと見続ける。沸騰の不思議を、音楽を聴きながら見続ける。
その間、会話はほとんどない。父はあまり話をする人ではなかった。
やがてお湯がサイフォンに立ちのぼり、見事にひいた豆の入った器に吸い込まれていく。重力に逆らって立ち昇る水。(常識を疑うようになったのは、この頃からか)また、違う香りが部屋を満たして行く。
おもむろに、アルコール燃料の火を消す父。コーヒーが、広口瓶に逆流し、静かに漆黒の存在を現していく。
たっぷり時間をかけて入れたコーヒーを、茶色のザラメ砂糖を静かに入れてかき回しながら頂く。
儀式のような時間と空間。
レコードの片面が終わり、ぷつ、ぷつ、ぷつ。と軌道を回り始める。
裏面に返し、また音楽は鳴るのだ。繰り返し、繰り返し。
これが、父との思い出の1シーン。豊かな昭和の時代の思い出のシーン。
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