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【欲をふくらませる!】

よく「欲は無くした方がいい」と、いいますね。わたしも、時々書いていますが、ちょっと誤解があるようなので、あらためて整理しておきたいと思います。

■1.欲は感性から生まれる当たり前のものである

これは感性論哲学者の芳村思風先生から習ったことでもあります。我々は「欲を抑えよ、社会に適合せよ」と教育されすぎて(戦乱の世で有れば正しいのですが)、感性が鈍くなっています。感性で物事を判断する力です。直感!と呼ばれるようなものと思っていただいても、いいですね。

感性を取り戻すためには、「感受性を鍛えよ!音楽を聴き、自然に触れ、美しいものに触れよ!」といわれます。わたしも、そうすれば感性は取り戻せると思っていました。

が、しかし、前提があったのです。それが欲求です。自然に触れた方がいいと知っても、自然に触れたい!という欲求がなければ、自然に触れにいきません。せいぜい近所の公園に行くくらい。それすら、面倒でやれないかもしれません。美術館にも、コンサートにも無理やり連れて行っても感性は取り戻せないのです。

つまり、感受性の前に。欲求を取り戻すことが、感性を磨くには必須なのです。

■2.我欲に生きるだけでは野獣である

とはいえ、欲求を満たすだけでは獣(けだもの)と同じです。食べたいから、食べる。殺したいから殺す。これが野獣の世界です。

人は、そこに理性という道具を手に入れました。二足歩行が発達して脳を手に入れたから理性という道具が手に入ったのか、理性が発達したから結果として二足歩行や脳が手に入ったのかは、ニワトリと卵です。わたしは、物理的身体的発達と、精神や学問の発達は、らせんのように双方影響し合いながらホモサピエンスになったと考えています。

「欲求を理性でコントロールする」そう考えられがちなこの理論は、理性を上位に置き、欲求を押さえつけるべきものとみなしていますね。しかし、冒頭で申し上げたように、それが過剰に進んだ世界が今の世界です。

では我々人類のさらなる進化のためにはどのようにしたらいいのでしょうか?欲求を押さえつけるやり方だけでは、どうやらうまくいかないのが実証された現代人は?

■3.我欲を小欲にし、そのリソースを大欲に向ける

人類のために。世界のために。そんな言葉だけでは、それはフェイクです。他人を巻き込む手段にしかすぎません。

しかし、本当に世界のために、やむに止まれぬ直感で動いている人はいます。その人たちは、莫大な欲を持っています。自らの命や、自らの組織が存在しない100年後、1000年後の世界を見ています。

その人たちの特徴は、こだわらないことです。その世界の実現のためには、時には自分のやり方さえも、簡単に捨てます。「間違えてました!」と軽やかに言い切ります。なぜなら、小さなプライドや我欲よりも、大欲に生きているからです。

■4.大欲か小欲かは簡単にわかる

自分の欲が大欲か、大欲に見せかけた我欲なのかは、かんたんに見分けられます。本当にかんたんです。それは

「世界が応援してくれているか?」

を見るだけです。世界は(ここでの世界は地理的な意味ではなく、この世を成り立たせている成り立ちや働き。という広義で使っています)あるように、あらわしてくれています。

組織に無理をさせれば、それだけ凋落も早く起きます。個人に無理をさせれば、身体や精神が悲鳴をあげて教えてくれます。つまり、世界が教えてくれている状態です。気づいたならば、引き返すなり、あり方を見直せばいいのです。我欲が強すぎなかったか?を見直す。

大欲に生きれば、それは何年か、何十年かは地道な時期もあるでしょうが、必ず、あれよあれよというまに人や機会や世界そのものから応援されます。「いままで、進まなかったのがなんだったんだろう?」というくらいに。

きっと誰でも経験した、または今から経験する、この世界に応援される感。これが大欲に生きている証です。

■5.大志(大欲)は特別な人だけのもの?

でも、すごい人だから、そんな世界に応援されるのでしょう?わたしは、そんな器はないので、小欲で生きていきます。

はい。それもありです。でも、その器の大きさは誰が決めたんでしょう?テレビで、芸能人や素晴らしい人を見て?周りの人と比較して?

比較も大切です。理性の働きです。しかし、その前に理性が鍛えられすぎて欲求が小さく、我欲に収まっているから、器を自分で小さく見積っているのかもしれませんよ。

欲求を取り戻すには、手当たり次第にやってみることをお勧めします。体験会や。体験的なツアーや、初めて会う人。「初めて」に、あえてエイヤ!と飛び込んでみる。そこから興味のタネを取り出して、自分の時間という土壌にいくつかを植えてみてください。あるものは咲き、あるものは枯れるでしょう。

咲いた花は、100%あなたのものです。そのタネを取り出し、また、あなたの時間という土壌にまいてください。そうしていつかあなただけの花畑ができたとき

人はあなたを見て、
「あなただからできたんだね」 
というのです。その時、あなたは、優しく自分のタネを分け与えてくださいね。

それがあなたの大志です! まだ見ぬ誰かのために自らの花を咲かせ続けましょう

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