【クラシックとは紡ぎ糸である。家族も組織も】
いま、ケリーヨストのピアノリフレクションを
聴きながら、あるイメージが見えてきました。
それを音楽家の奥さんに話したら
「素晴らしい!それがクラシックなんだよ!」
と褒められたので共有します。
まず、いい真空管アンプとタンノイのスピーカー
の組み合わせ。
これは、昨年、義理の両親を京都にお連れした時のこと。旅行の手配やドライバーをしたお礼にと義理の父から先月贈られたものでした。
完全カスタムメイドの真空管アンプ。おそらく金額は二桁万円でしょう。そんなアンプで聴くと、ピアノの打鍵の強弱がハッキリと分かるのです。
同じ音でも、どれだけ鍵盤を強く弱く押しているかがわかる。その一音一音の指のタッチを想像していたら前の音が消えそうになると次の音が追いかけているイメージが見えてきました。
わたしがビジュアリゼーションしたのは、いと紡ぎ。静岡の古民家で、綿花から綿を取り出して、それを糸に紡ぐ機械で糸紡ぎをしたことがあり、その記憶が寄り合わさって、絹糸を寄り合わせるイメージがバーンと出てきました。
一つ一つの音が、細い細い糸でありながらそれを手元でよっていく。細い糸が切れそうになると、さらに糸を足して、寄り合わさる一本の糸が同じ太さになるように。寄り合わせ、寄り合わされて一つになっていく。
それが、ケリーヨストの鍵盤上の指のイメージ(わたしの中の映像)と連動して見えたのです。そのことを奥さんに話したところ
「素晴らしい!クラシックはまさしく紡いでいく音楽なの。あたかも一本の糸のように聞こえるけど、一音一音が気がついたら、いつの間にか繋がっている。それを最初から最後まで一本の糸にする音楽なんだよ」
と褒められました。
【紡いでいく】
短い糸も、細い糸も、太い糸も、同じように
紡いでいく。それは、家族のありかた、組織のありかたでもおんなじではないかと、思い至りました。
短い糸も、長い糸も、細い糸も、太い糸も。よりあわさって、一つの糸として紡がれる。終わりと始まりがひとつになって輪になって円を描く円環運動。繰り返し繰り返し。。。。
そんなクラシック音楽のような、人間関係や組織を、わたしも紡いでいきたいと思いました。
インスピレーションをくれた、音楽と、奥さんと、アンプと、昨日の体験と、コーヒーとケーキと、豊かな時間に感謝を込めて。
文章が評価されるのはうれしい。その喜びを頂けて本当にありがとうございます。