大学の卒業論文が出てきた。やなせたかしさんにインタビューしていた
かなり貴重な資料が出てきた。わたしは大学の卒業論文に、やなせたかし氏と、谷川俊太郎氏の詩人としての比較論を書いた。前提として、第一章で近松門左衛門から始まる、貨幣経済社会としての義理と人情論を上げ、江戸から現代にまで続く「義理=客観」と「人情=主観」の対立構造を語る。
そして、第二章で客観的な自己を描く詩を谷川俊太郎の詩集からあぶり出し、主観的な自己を描く詩をやなせたかしの詩集からあぶり出した。
その差は、主体としての戦争体験者(徴兵されたやなせたかし氏は、弟さんを特攻隊員として亡くしている遺族でもある)と、焼夷弾が降りしきる中、翌日黒コゲの死体を見に行った客観的な戦争体験者の谷川俊太郎氏との体験の差にもあると書かれていた。
【やなせたかし】
「ぼくが戦場にいるとき
生命が終わりそうなとき
ふと空を見ると
雲は昔とおんなじように流れていた
戦場にも
花は咲いていた
ぼくは思った
なぜぼくらは
雲や花のように
生きられないのかと
なぜぼくらは
殺し合うのかと
太陽は公平に
敵も味方も
照らしていた」
【谷川俊太郎】
『芝生』
「そして私はいつか
どこかから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ」
主観による戦争を情緒的にとらえたやなせ氏と、客観によって戦争を自己への影響という形で突き放している谷川氏がいる。
戦中戦後という、およそ10年の時の差が、二人の詩人に主観と客観の異なる道を歩ませたと説く。
そして、第三章でわたしが大学時代に雑誌の取材で、やなせ氏に直接インタビューをした内容が綴られる。
「童話も基本的には、ちゃんとした文章が書けるのか。そしてその文章が簡潔で相手にわかるのか。という技術も必要。さらに内容がいいこと。で、内容がいいということがどういうことかというと、本人がいいということなの」
「ぼく自身がですか?」
「そう。あなた自身にかかってくる。絵を描く人でも、その人がいいかどうかで見ちゃう。いい人だったら、いい絵が描けるとボクは思ってる。ただし、馬鹿はダメなんだよなあ」
やなせたかし氏とのリアルな対談は今読み直しても、まっすぐで心に響くものだ。貴重な体験を卒業論文に残していたことで、やなせ先生のイキイキとした笑顔を思いだすことが出来た。
先生はお亡くなりになったが、いまだにわたしに問いかけてくる。
「いい人になったかい?あたりまえをあたりまえに、できるような人になったかい?」
「今は、少しはできるようになりました」と答えたい。
でも先生に、「馬鹿じゃダメだよ」と、
優しく笑って言われてしまうかもしれない。
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