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カンボジアで涙した話

年末にご縁があり、ベトナム、カンボジアに行ってきました。クリスマス前のシーズンでもあり、熱い国カンボジアでも、サンタはサンタで真っ赤な電飾の中で、光っていました。

涙したのは二日目のこと。午前中にソーシャルコンパスの中村様の会社に訪問し、プノンペンにある日本人シェフのフランス料理屋さんでランチに舌鼓を打った後のこと。

今回はマーケットとビジネス視察で訪れたので観光は一切入れてなかったのですが、やはりカンボジアで、ポルポトの足跡を感じることは国民性を知る上で必要だとのことで、トゥール・スレン虐殺博物館に、トゥクトゥクというバイクカーに乗り合わせて向かいました。

事前に情報はあった。しかし、同一民族で死なせないように拷問を繰り返したあとの虐殺の歴史。それに直面するのは、かなり強靭な心を持っていたとしても、耐えきれるものではなかった。

拷問室や、拷問器具、亡くなった方々の記録写真や、髑髏そのものを見、生き残った人の証言などを通訳機を通して体験することになったのでした。しかし、涙したのはここではありません。

暗澹たる思いになって、タクシーにのりカンボジアのイオンに向かっている時、タクシーの横を並走するバイクがありました。若い男性。その目は未来をみているのでしょう。褐色の肌に笑顔こそありませんでしたが、白い目の中にある黒い瞳はまっすぐ前を向いていました。

博物館での記憶が蘇ります。「この国は数百万人ともいわれる世代が亡くなりました。ただ、連れてこられて、意味もなく、拷問されて殺されたのです。自殺すらできない中で毎日、毎日拷問されたのです。若い少年が、大人も、母親も拷問しました。赤ん坊でさえ殺されたのでした」

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カンボジアは平均年齢が24歳の大変若い国です。なぜそんなに若いのか?それはそれ以前の大人がほとんど虐殺と内戦で死んでいるからなのでした。

タクシーに並走する、まっすぐに未来をみるバイクの若者を見た時に、「この人の両親も、祖父母も犠牲になっているのだろう」と想像できました。もし両親が健在だとしても、その両親はなんらかの形で拷問に関わっていた側かもしれません。生きている側と死んでいる側の家族。それらが歴史の中で今もなお息づいているのです。

タクシーは程なくプノンペンのイオンに着きました。胸の奥がわけのわからない震えで満たされたままアイスコーヒーを頼みました。優しい笑顔で注文を取りに来た青年。「この青年も、、、」

コーヒーを一口飲むと、嗚咽の様に堰を切った涙が出てきました。横を向いて肩を震わせ、人と歴史を感じつつ、コーヒーを一気に飲み干しました。苦くて苦い美味しいコーヒーでした。

生きること。生き続けること。当たり前でない今に。

あの若者達の瞳を思い出す度に心が震えます。


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