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見えないギプス

【気づいてくれたね】

幼少の頃に、足の骨を折った。
対面で何人かで乗れるブランコの間に足を挟んで、ボキン!という音とともにポッキリ折れた。今では、足が入らないように天板のようなものが付いているので、ひょっとするとわたしの事故が世の中の役に立っているのかもしれない。

ギブスをはめて数ヶ月。
ギブスをしていれば、びっこを引きながら歩けるようになった。ドロケイのような遊びにもびっこを引きながら捕まえた人を逃がさない役として参加できるようになった。

しかし、数ヶ月のギブス生活で、わたしの足は棒の様に細くなった。ギブスを外した自分の足を見て、自分で驚くくらいに。

だから、怖かったんだろう。ギブス無しで歩くのが。いや、こわかった。

それからも、毎日、毎日、ギブスをはめたまま、足を引きずりながら歩いていた。痛みはなかった。ただ、まだ、つながってない気がしていた。

そんなある日。
父親が烈火の形相でわたしを叱り付ける事件が起こった。普段あまり話さず滅多なことでは声を荒げない父が怒った。

治っているはずなのに、ギブスをはずさないわたしに、わなわなと業を煮やしたように。

「なんで、、!」

「歩か、、!!」

「ないんだ!!!」

と、ギブスを着けたわたしの足を両手で抱えて、何度も何度も地面に打ち付けた。

きっと父も怖かったんだと思う。
我が子がまともに歩けなくなってしまうのではないか?一生足を引きずる人生になってしまうのではないか?と。

そして、わたしは、その時あまりの恐怖で泣き出すこともできなかった。今でもそのシーンが鮮明な記憶として思い返せるくらい、こころもからだもこわかったんだと思う。

先日、ある整体の先生に「背中の痛みは左足のすねから来てますね。ほら、すね別々になってるでしょう」

と、さわりながら言われた。誰にも言ったことないのに。背中とすねの骨折は関係ないと思っていたのに。

「実は、、、」と幼少期の頃の思い出を話すと

「左足だけでケンケンしてみてください。はい。次に右足だけでケンケン。どうです?」

実際に大人になってから久しぶりのケンケン(片足ジャンプ)をしてみると、左足ではこわくて足がすくんだのだ。

「骨はつながっていますが、エネルギーがつながってないんですよ」

そういいながら、なんかをしてくれた。

「はい。エネルギーもつながりましたよ。もう一度ケンケンしてみてください」

プラシーボ効果かどうかもわからないが、左足だけで右足と同じようにケンケンできた。エネルギーがつながった?!

こわかったんだ。支えなしに、自分の両足で立つことが。

幼少期のころに、ポッキリとこころとともに折れたすねの骨を、今度は本当につないでいこうと思う。

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