なぜ七夕は「7月7日」なのか?「あの世とこの世の行来」の物語がシンボライズしているものとは?
7月7日といえば「七夕」であり、「七夕」といえば「織姫」と「彦星」が一年に一度この日だけ天の川を越えて出会うという逢瀬の物語を思い浮かべる人が大半だろう。
この物語はもともと「棚機つ女(棚機津女:たなばたつめ)」という日本の民話が由来となっている。
そのオリジナルの内容というのは、まあ日本の昔話によくあるあるであるようにあまりキラキラとしたロマンチックなものではなく、わりとドロドロと込み入った内容なのだが、一応「織姫と彦星が一年に一度しか会えなくなる」というラストのオチの部分は共通している。
そもそも「七夕」という字は当て字であり、本来は「棚機」と書いて「たなばた」と読んだのだそう。
七夕の由来を詳しく知りたい方にはこちらの記事がおすすめだ。
「棚機」と書いて「たなばた」
ではこの「棚機」とはなんぞや?といえば、これは昔の日本家屋にあった祖先の霊を祭る「棚(たな)」のことを指しているそうだ。
なので「たなばた」という行事のルーツは「祖先信仰」にあるという。
これは意外な感じがしないだろうか?
七夕祭りといえば願い事を書いた短冊を笹の葉につるす行事という認識がすっかり定着している現代からすると、七夕と祖先信仰は結びつかない。
なんだかクリスマスがすっかりプレゼントをもらう日として定着してしまい、イエス・キリストの生誕は誰からも祝われないのと似ている気がする。
4月29日の「昭和の日」がうれしい楽しいゴールデンウィーク初日として認識され、昭和天皇の誕生日であることに思いを馳せる国民がほぼいないこととも近い。
しかし「七夕」とは、本来「祖先の霊を迎える日」なのだ。
そして実はこの風習は「お盆」とワンセットだった。
今でこそ「お盆」といえば八月中頃に行われるが、もともとは七月十五日の行事だった。
それがなぜ八月にずれたのかといえば、明治維新でカレンダーがグレゴリオ暦に変わったことにより、七月十五日が農家の繁忙期と被ってしまい、祖先を祀るどころではなくなったためだ。
そのためお盆は明治以降、月遅れの八月十五日に行われることが一般的になり、七月七日のたなばたと離れてしまったというわけだ。
しかしもともとは、七月七日の「たなばた」は、それから七月十五日に至るまでのお盆の期間のいわば前節のようなものであった。
旧暦の七月というのは、その家々の先祖たちが帰ってくるシーズンとして、古来から日本の風俗には取り入れられていたようだ。
ちなみにお盆で舞われる「盆踊り」では、ひょっとこなどのお面をつけることが多いが、あのお面の意味はご存知だろうか?
実はお面で顔を隠すのは、「踊りの輪の中に故人がまざっていても気づかれないように」という配慮からなんだとか。
ちょっぴり怖いが、なんとなくいい話でもあるよな。
「祭り」と「祀り」の発音が同じことからも分かるように、死者を現世に迎え入れる行事というのは古来より日本各地にたくさんあった。
日本人にとって祖先の霊とは恐怖の対象ではなく、畏怖の対象。
つまり自分たちをより大きなスケールで包み込み守ってくれる存在として見上げるべきもの。
そして彼ら彼女らはそこそこ頻繁に帰ってくる。
こうした「あの世とこの世の循環」という考え方が、日本文化の底流にはある。
織姫と彦星の年に一度の逢瀬というのも、そうした「あの世とこの世の循環」をシンボライズしているのかもしれないよな。
「あの世とこの世の循環」によって、心身にも生活空間にも共同体にもあたらしいエネルギーを取り入れようとしていたわけだ。
それが最も顕著なのが、一月のお正月のシーズンと、七月の七夕からお盆にかけてのシーズンだったというわけだ。
この「循環」という運動性が、日本文化を日本文化たらしめてもいる。
ついでに「笹の葉に願い事を書いた短冊をつるす」という習俗のルーツはどこにあるのか?といえば、それは江戸時代中期に町人たちがそれぞれの習い事の上達を祈願したのがはじまりらしい。
これは現代でもほとんど変わるところがないだろう。
お正月の初詣でも、願い事というのは棚からぼた餅的な受動的なものよりも、今年はこれをやります!的な決意表明の方がいいと言うしな。
まあその根拠が単なる精神論だったとしても、自分で自分に目標を課すというのは精神衛生上よろしいことは明らかなのだし。
と、いうわけで、せっかくの七夕だ。
まあ今さら七夕に祖先信仰をしようにも賃貸マンションにはそれ用の棚もなかったりするし、そもそも祖先の祀り方も分からなかったりする我々現代っ子は、せめて今年下半期の目標を祈願しておくくらいの江戸っ子根性を見せてみてもいいんだろうな。
さて、今年も残すところあと半年!
あなたは2021年の後半を、どんな風に過ごしたいですか?
もう178回寝ると、お正月です。
この178日で、あなたは何にむかって日々を過ごしましょうか?
長いようであっという間の、半年間。
やるべきことにしっかり集中できると、よさそうです。
ちなみに、どんな目標を持つかは人それぞれですが、実はそれでも全員に共通していることがあります。
なんでしょう?
それは、「カラダが資本である」ということです。
老若男女問わず、何かに向かって努力をしたり、家内安全に過ごすにも、まずはカラダが健康であることが第一です。
お仕事も恋愛も趣味も研究も家族サービスも、カラダがあってこそ充実してくる。
健全な精神は、健全な肉体に宿るといいますし。
そんな誰にとっても大切なカラダ。
今日は最後に、そんな「カラダの法則」をプレゼントしましょう。
意外と知らない、「人体の法則」
それを人体のプロが教えます。
2021年下半期も、これを学んで充実した【いる派】ライフになるよう、応援しております!
それでは、また!
福耳諭吉
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