それぞれのペースやルートで、がんばっている、よくなっている
こんにちは、Soniiです。
いつもありがとうございます!
今日の内容は、書くのがとてもとてもむずかしくて、抽象的な書き方になってしまいました。言葉の流れを、雰囲気や、心で、お感じいただいていますと幸いです。
わたしは、クラシック音楽が好きです。
彼は、大学で音楽を専攻していて、バイオリンを弾くのですが、彼が好きなのは、ジプシージャズ、というジャンルです。ステファン・グラッペリという、フランスのバイオリニストを、敬愛しています。
わたしは、音楽全般が好きなので、いろいろなジャンルを聴くのですが、ジプシージャズは、はじめて知りました。
ステファンは、ジャンゴ・ラインハルトというギタリストと、組んでいたことがあります。ジャンゴは、わりと好きで知っていましたが、ジプシージャズというジャンルだったということや、ステファンと一緒に演奏していた、というのは、彼から教えてもらうまで、知りませんでした。
彼は、ステファンとジャンゴのおすすめの曲を、いくつか教えてくれたのですが、曲調が速くて、ちょっとしんどいな、と感じました。
わたしの感覚の中にないものは、慣れるまでに時間がかかります。彼が好きだという曲は、わたしが初めて体験するようなものでした。
彼は、わたしが知らないものに慣れるのに、時間がかかることを知っています。ですので、わたしを、そおっとしておいてくれました。
別の日に、彼と話していて、クラシック音楽の話が出ました。わたしは、彼がバッハを弾くと、とてもいいだろうな、と感じたので、「バッハを弾くといいと思うよ」と、伝えました。彼は、クラシック音楽が好きではないなあ、と答えました。
彼が、いつもわたしの気持ちを大切にしてくれるように、彼の気持ちをそおっとしておくことにしました。
しばらく経ったころ、「バッハを練習してる」と、彼が言ったので、おどろきました。
「ステファンも、バッハを練習していたのは知ってたんだけど、クラシック音楽にいい印象がなくて、練習をしたくないと思ってた。でも、気になって、ステファンが演奏していたバッハを聴いたら、すごくよかった。だから、練習をしてるよ。」と。
彼のバイオリンは、聴かせてもらったことがあるのですが、思っていたよりもずっと上手で、びっくりしました。(ほれなおしました)
すでに、とてもすてきなのだけれど、バッハを練習することで、彼の感性の輝きが、もっと魅力的になるだろうな。より美しく、澄んだ音色になるとすてきだな、と楽しみにしています。
子どものころから、こうした、ものごとの本質のような、「こうしたらいいよ」と、いうものが感じられることがあります。
そうしたものごとの本質の取りあつかい方を、どうすればいいか、ずっとわからずにいました。
ものごとの本質は、長い目でみると、正しかったりするのだけれど、伝え方によっては、まわりに伝わりません。
だれもが、最終的には、本質にたどり着いていくのですが、受けいれるタイミングやルートは、人によって、ことなっています。
わたしの感じているものも、正しいし、あなたの感じているものも、正しいよね。
というふうに、まわりの感じていることも、やっていることも、いったん、やさしい気持ちで、受けいれてみる。
そうすると、みえてこなかったことが、みえてきます。
正しくないように感じることは、途中段階をみているだけで、さいごには、すべてが、ものごとの本質に、たどり着きます。
「彼は、バッハを弾かなくてもいいよね。今の、ジプシージャズを弾く彼も、とてもすてき。わたしも、ジプシージャズを聴いてみると、楽しいかも。」というふうに、いったん、受けいれてみました。
そうして、彼をそおっとしていると、彼が、バッハを弾いてるよ、と言いだしたので、ほんとに?!と思いました。
わたしが感じているものとはちがうものも、存在していてもいいよね、それも正しいよね、と肯定することができるようになった時、まわりのことも、自分とはことなるものも、受けいれることができています。
すると、本質が、形として、あらわれてきます。神様がつくった、そのままの世界が、みえてきます。
自分の正しさからみている世界ではなくて、神様がみている世界。
そのことを、神様は、いろいろなことを通じて、教えてくれました。
正しいこと、というのは、あなたにとって、正しいことなのであって、まわりの人にとって、その時、その時に、正しいこともあるのですよ。
まわりの人が、自らの気づきによって、本質にたどり着いていくことを、見守っていてあげてくださいね、と。
だれもが、がんばっています。
その「がんばり方」が、わたしとはちがっているものだったり、ちがうルートをたどったりしているだけで、だれもが、よくなろうとして、がんばっています。
おひとりおひとりのペースや、タイミングや、どのようなルートをたどっていくかを、尊重してあげてくださいね、と神様は、ていねいに伝えてくれます。
ものごとの本質のようなものは、純粋な子どもの時には、感じている方も多いです。
敏感でやさしい方は、純粋なので、ものごとの本質を、大人になっても、感じていたりします。
純粋な気持ちで、世の中の幸せを願っているので、自分のことはわかりづらかったとしても、まわりのことについては、「これをするといいよ」と、本質がみえている。
それを、お相手に、伝えても伝えなくても、「今のその人もすてきだよね」と思ってみると、その人は、「これをするといいなあ」と感じていた本質の姿に、変わっていったりします。
とてもふしぎなことなのですが、まわりのなにかを変えようとしなくても、まわりの今の姿を「それもいいよね」と思って、いったん受けいれてみることで、「こうなるといいだろうなあ」という方向に、まわりが変わっていきます。
まわりをみて、いろいろと、お感じになられた時に、思い出されたら、やってみてくださいね。
今日もありがとうございます!
Sonii
☆☆☆ご支援、ありがとうございます!☆☆☆ とてもうれしいです(*'▽') よい循環のために、大切につかわせていただきます あなたにも、すてきな循環がありますように!