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オーストラリア留学 現地の日常を体験する

高1の11月、オーストラリアに留学した。
南半球のオーストラリアでは真夏、既にクリスマスの準備が始まっていた。
サンタはサーフィンでやって来る。

留学の期間は1か月、日本人の感覚からしたら長いが、向こうの人達は「えっ、1か月しかいないの!?」と驚いていた。
様々な国から留学生が来ていて、みんな半年とか1年とかいるらしかった。

ホームステイ先には何と先客がいて、ホストファミリーはぼくともう一人、ベルギーからの留学生を同時に受け入れた。
彼女はフランス語話者だったが、英語も流暢でなぜそんなに話せるのか聞いてみると、「もう3か月もいるんだから話せて当たり前よ」とのことだった。

ホストファミリーの子ども達と一緒に現地の学校に通ったが、留学生だから特別対応ということはなく、現地の生徒と同じ扱いで授業に参加させられた。
みんな時間にルーズで、授業は時間通りに始まらなかった。そのくせ、終わりの時間にはうるさくて、チャイムが鳴るとまだ説明の途中なのに生徒が勝手に出て行ってしまったりした。

英語の授業では、シェイクスピアを読んで古典文法か何かをやっていたらしかったが、さっぱり分からなかった。
一方、数学はなんとなく問題文の意味を理解できて、内容は日本に比べて初歩的だったので楽勝だった。彼らは筆算をせず電卓を使う。
選択科目には日本語の授業もあって、みんなぼくが日本人だと分かると「コンニチハ」とか「アリガトウ」とか頻りに言いたがった。

あとは、ビーチバレーをやったりアーチェリーをやったりした。
知ってるか、弓って結構重くて矢を飛ばすのには力がいるんだぜ。
最初はへなちょこで的まで届かなかったのが、最後の方には中心付近に当てられるようになって、先生が喜んでたのが嬉しかったな。
向こうの人はみんな体が大きくて、日本で平均身長のぼくは完全にチビだった。

平日は学校に通い、休日はホストと一緒に買い物に行ったりする。留学と言ってもプログラムらしきものは全くなくて、完全に現地の生活を体験するという感じだ。
ちなみに、費用は旅費と保険代とお土産代くらい。生活費は基本的にホストが持ってくれるし、交換留学の制度で、帰国後は自分がオーストラリアからの留学生をホームステイで受け容れる代わりに、留学の費用が全額学校負担になる。

家ではNetflixでアメコミの映画を観ながら、ピザを丸々1枚食べたりした。英語は分からないし、夜になると眠くなっちゃって、内容は半分も入ってこなかった。
ホストは犬を2匹、猫を1匹飼っていて、猫は最後まで懐かなかったが、ワンコ達は学校から帰ってくると毎度玄関で出迎えてくれた。
慣れない環境でストレスもあったが、イヌを膝に乗せてリビングのソファに座っているととてもくつろげた。

ファミリーでお出かけする時間と自室でプライベートに過ごす時間と両方作ってくれたし、家は落ち着く場所だったのでホームシックとかはなかった。
それに、ホストはぼくに分かるように気を遣いながら英語を喋ってくれるので、コミュニケーションもそれほど苦ではなかった。
特にホストの父親とはドライブ中にいろんなことを語り合った。
日本とオーストラリアで文化の違いは色々あるけど、同じ月を見て同じように美しいと思うものだ。

ホストとはすぐに打ち解けたけど、学校の友達と話すのは大変だった。やはり言語の壁は大きい。
自然と一人で過ごす時間が多くなって、それで国際交流担当の先生が心配したらしい。
オーストラリアに来て1年近くなる日本人留学生に、ぼくの相談に乗るように頼んだようだった。
今思えばお節介である。別に一人でいることは寂しいことじゃない。
でも、このとき彼が話してくれたことは、ぼくに大きな影響を与えることになる。

彼は友達がたくさんいてみんなの人気者だ。
留学中に現地の女子生徒と交際を始めていた。
(先述したベルギーの留学生にも彼氏がいた。
すぐに会えなくなるのに、国際恋愛の敷居が低いのだろうか。)
それから彼は、“How are you?”と聞かれたら、決まって“Awesome!!”と答える。
ぼくはそんな彼をかっこいいと思った。

でも、彼も半年前はこうではなかったらしい。
オーストラリアでは留学生だからといって特別扱いをしない。
最初、彼はのんきに一人で釣りをしたりしていたが、誰も彼に関わろうとしてこないので、怒って「誰もオレに興味ないならもう帰る」と言い放ち帰国の許可を求めたそうだ。
しかし、彼はここで自分の間違いに気づく。
誰もオレに興味を持たないのは、オレがみんなと関わろうとしないからだ。
そこから彼は変わって、交友の輪を広げていくようになる。

彼は言う。人間関係はいつだって自分からだ。
相手が自分に何をしてくれるかと考えるのではなく、自分が相手のために何ができるか考えて行動するんだ。
そして、毎日がAwesome(最高)になるように、自分で日々を楽しいものにしていく。
彼の言葉に感銘を受けて、ぼくも意識が変わった。
留学は残り2週間。既に半分ほどが過ぎ去っていた。悔いなきようにしなければ。

オーストラリアで得たものが、あと2つある。
1つ目は、ピアノだ。
ぼくは5歳くらいからピアノを習っていて高校卒業まで続けたのだが、特別上手というわけではなかった。
レッスンが楽で、先生と雑談しながら気分転換のような感覚でピアノを弾いていた。
ぼくには音楽の才能はなかったけど、まあ流石に10年以上も弾いてればそれなりにはなる。

ホストファミリーの家にはピアノがあって、やはり留学中もリフレッシュのためにピアノを弾いていた。
持ち曲は、アンジェラ・アキの『手紙〜拝啓15の君へ〜』。
ホストとのお別れが迫ってきたとき、感謝の気持ちを込めてこの曲を弾いた。
そのとき、何かを掴んだような気がした。
今まで何度も弾いてきた曲だけど、今までで一番自分の感情が音に乗ってると感じた。
このとき、ぼくは初めて「自分のピアノ」が弾けるようになったんだと思う。
『手紙』は、自分を見失いそうで悩みを抱えるすべての人にメッセージを届ける。
“笑顔を見せて 今を生きていこう”
勿論、ホストはこの曲を知らないし、日本語の歌詞を聞いても分からないだろう。
でも、想いは伝わった。
音楽は世界共通の文化。音楽は言葉を超える。

オーストラリアで得たもののもう1つは、自然に対する感性だ。
オーストラリアの自然は雄大で、海は鮮やかで美しかった。ただただ、圧倒される。
自然だけじゃない、街も、学校も、食事もすべてが新鮮だった。
オーストラリアの海を見てきたら、地元の海がしょぼく見えるだろうと思ってたんだけど、でも違ったんだ。

日本に帰ってきて、海が日差しを反射してキラキラ輝いているのを見たとき、とても綺麗だと思った。小さい頃からずっと見てきた景色なのに。
それで、ぼくは気づいたんだ。
確かに、世界中から観光客が集まってくるような絶景は素晴らしいだろう。
でも、そんなものをわざわざ見に行かなくても、美しさはもっと身近なところにあるんじゃないか。
普段、忙しない生活の中で目を向けていない、空や海や山や街を見てみたら、そこにささやかな感動を見出だせるのではないか。
こうした日常の中にあるものこそ、本当の美しさなのではないか。

そうして、ぼくは前よりも景色をよく見るようになった。それから、自分の地元が大好きになったんだ。
1か月後、今度はオーストラリアから日本に留学生がやって来て、ぼくの家にホームステイすることになった。
東京に観光に行くのもいいけれど、地元のなんてことのない風景を見せてやるのがいいだろう。
留学生を連れて歩くと、ぼくの目にも世界が新鮮に映った。

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