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もう誰も、傷付けないで

言語化することで成仏できる気持ちがあると、割と信じているところがある。成仏させたい気持ちが大きすぎて、とてもとても長くなってしまった。もうここで、終わらせたいし、忘れたい。今日は、そんな話。


過去の記事で何度も書いているように、私の両親は離婚していて、私はお父さんの連れ子となった。お父さんは離婚後2年足らずで再婚をした。女性との間に子供ができたから。

当時の私は中学生だった。身近に離婚した家庭の子はあまりいなくて、再婚した家庭も異母兄妹を持つ子だっていなかった。

両親が離婚した後、まさかこんなにもすぐに再婚するだなんて考えたこともなかったように記憶している。
お母さんと会えなくなるわけではなかったけれど、事実として私にとっての家族はお父さんだけだった。この先は二人で暮らす日々が続くのだと、疑うことは何もなかったのに。



「パパ、再婚することになったから。」
「子供が生まれるからね。引っ越しをするから荷物をまとめておいて。」

再婚をすること、私に異母姉弟ができることは、あまりにも普通に日常の中で私に告げられたことだった。
こんな報告の仕方があるかと思うほどに、突然の出来事だった。

こういうことはもっと時間をかけて説明することではないのかなと、当時も今も変わらず思う。

あの日からどれだけ私が混乱したか、傷付いたか、不安になったか。きっとお父さんには当時もこれから先も、分からないことだろうね。それがまた、私の心を何度も抉っていることにも、気付くことはない。



再婚を告げられる何ヶ月も前から、お父さんに何かがあることに私は気付いていたよ。

二人で暮らすアパートの一室。
ある曜日に学校から帰宅すると、いつもとは違う部屋の空気に私は違和感を覚えていた。

料理をしない私たちの家のキッチン。
調理器具はほとんどなく、いつも適当に置かれていたはずだった。

それなのに、ある曜日だけは違った。
綺麗に並んて、いろんなものが吊り下げられている。
そして私たちの匂いじゃない、嗅ぎ慣れない匂いが部屋に充満していた。


普段はほとんど触ることのない携帯を、いつからか常に眺めるようになったお父さん。何かを検索している、見ているというよりは、誰かと連絡を取っているような指の動きだった。

でもこれは、私の頭の中にある記憶。
これがこの後の出来事によって捻じ曲がった記憶なのか、本当に当時の感覚のまま覚えている記憶なのか。お父さんに確認できるはずもなく、今となっては確認する手段もない。確認したところで、何か変わることのないこともまた事実で。



いつの間にかお父さんは、日付が変わるまで家に帰ってこなくなった。祖父母の家で食事とお風呂を終わらせて一緒に帰宅をすると、着替えてすぐに家を出て行く。
「パチンコ行ってくるから、遅くなるから先に寝てていいよ」と必ず言い残して。

パチンコの営業時間を携帯で調べて、その時間を待っていても帰ってくることはなかった。日付が変わっても、帰ってこなかった。1時、2時になって、ようやく鍵の開く音がする。

そっか、私よりも、大事な人がいるんだな、と思った。
お父さんが私を家に置いて出て行く度に、私のことを一番に想ってくれる人はもうこの世にいないのだと知った。


「おかえり」とご飯を作って待っていてくれるお母さんもいなければ、私に向き合ってくれるお父さんもいない。歳の離れた大好きだった弟とも、もう一緒に遊ぶことはない。

たった一つの両親の決断で、私の人生は大きく変わってしまった。その後のお父さんの行動一つで、私はひとりぼっちになった。

その数ヶ月後の話が
「 パパ、再婚することになったから。 」だった。




お父さんと再婚相手とお腹の中の子供と暮らすようになってすぐのこと。

ある日、私は今まで通り、お父さんとゲームの話で盛り上がっていた。二人暮らしをしていた時から、お父さんのやるゲームを隣で見ていることが大好きだった。その頃と何も変わらない、私たちにとってはごく普通の会話。

その会話の最中、ものすごく大きな音が背後からした。食器棚の扉を思いっきり閉める音だった。

中学生の私にも、それは誰がどんな感情を持って行った行動なのか、すぐに理解できた。
きっとあの人からすると、お父さんと私だけで盛り上がる話題があることが嫌だったんだと思う。仲間外れにでもされている気分だったんだろうね。


私はその日から、お父さんと会話をすることが極端に減った。向こうから私に話しかけてくることも少なくなった。

お父さんとあの人との会話に混ぜてもらえることはあっても、誰も私の話には興味がないみたい。私のことは何も聞いてこない。私の話では会話は広がらない。お父さんと二人で盛り上がる話題があれば、あの人は私たちの話を遮った。何度も、何度も。

話しかけられれば、上手く自分を取り繕った。好きでもない、自分では選んでもいないただの他人相手に愛想を振り撒いた。それがお父さんとあの人が望む私であるのなら、私はそれを演じた。
未成年の私が、ここで生きて行く方法だったから。



その数ヶ月後、子供が生まれた。
あの人は私のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。

私はその子に対して「可愛い」という感情を心から持てたことが一度でもあったかな。

それまでの私は、歳の離れた弟がいたこともあって小さな子が大好きだった。
子供が好きだから、将来の夢はピアノも弾けるし幼稚園の先生になりたいなと思っていた時期があった。職業体験では幼稚園を希望したし、高校は子供に関わる勉強のできるコースを選んで入学をした。


その私に、半分だけ血の繋がる弟ができた。
その2年後には妹までできた。

どうして私が子供の立場で経験することができなかったことを、父は家族を変えて楽しんでいるのだろう。その家族団欒の笑い声を自分の部屋から一人で聞いていた私の気持ちなんて、きっと誰も想像することはなかったよね。「ちょっと遊んであげてて」と、私にどんな気持ちで子守を頼んだの?

もう、子供に関わる仕事をしたいという気持ちは私の中から消え去っていた。日常の中で見かける知らない家族でさえも、視界に入ることが辛かったから。



帰りが遅いお父さんのいない食卓で、私は他人たちと食事をする日々。

何を食べても味がしない。馴染みのない、他人の料理。お父さんがいる時といない時で態度や口調が全く違う、他人と過ごす食事の時間。

子供達への苛立ちの矛先がなぜか私にも向く。お茶の入った容器を思いっきり机の上に投げつけるように出される。どれもお父さんの前ではしないこと。私の前では、あの人の本性が見えた気がした。

いつの間にか、
私はリビングで食事をすることができなくなった。



ある夜、翌朝のパンがないからコンビニに行くと言うお父さんに着いて行った。それは私の朝食もないのだと思ったから、好きなパンをお父さんの持つカゴに入れた。

それを見て、お父さんが言った。
「お財布は?」と。

カゴの中には、あの人とお父さんのデザートまで入っているのに、私の朝食はだめらしい。
お財布を持っていなかった私に、聞こえる大きさのため息をついて、お父さんはレジに向かった。




食事は自室で取り、お風呂やトイレはあの人たちが寝静まってから入る。リビングにはなるべく出入りをしない。極力会話をしない。空気のように生活をする。

私の生活は私の部屋の中で完結するようになった。
そして学校へも行かなくなった。
一日を、自室で過ごすようになった。

そんな私のことをお父さんは祖母に、「◯◯(私)はわがままで食事も自分の部屋でしか食べないから、わざわざ◯◯(再婚相手)が毎食部屋の前まで運んでやってるんだ」と言っていたそう。


学校のことで、お父さんが私に話を聞きに来ることは一度もなかった。それなのに担任や学年主任を家に入れて、物で塞いでいた私の部屋に無理やり押し入ることを許可した。お父さんはその場にいなかった。学校に私を押し付けて、父親として私に向き合ってくれることはなかった。

私は学校が嫌で行けなかったんじゃない。
自分を取り巻く環境や状況に、もう耐えることができなかった。だから部屋から出ることができなかったのに。


それでもお父さんの言動に驚くことはなかった。
いつだって私が悪者だったから。

お父さんは、娘よりも女を選んだ。

だから私の気持ちなんて関係なしに、後先考えることもなく、何の順番を守るわけでもなく、私を家に放置した挙句、子供ができたからと突然再婚をした。

私のケアなんて一度もすることはなく、私の話を聞いてくれるわけでもなく、自分の快感や相手を優先した。

お父さんはそういう人だった。
ただ、それだけのこと。




私は学校を辞めて、アルバイトを始めた。
家を出るためだった。
高校卒業と同時に必ず家を出ると、自分と約束をした。

時間の融通が効く通信制に転入をしてから、残りの時間は全てアルバイトに注ぎ込んだ。1年半ほどで目標金額以上を貯めて、高校の卒業式を迎える前に家を出た。

あの日、電車で一人、新居へと向かった時の心境は今でもはっきりと思い出せる。

家に帰るのが好きになりたかった。
家にいることで息が詰まる思いはもうしたくなかった。
今日からは自分のために生きていこうと決めたのも、あの日だった。


数日後、一人で暮らす家から、一人で卒業式に行った。周りの卒業生には親がいる中、一人で卒業証書を受け取った。

親に記念写真を撮られる卒業生の横を、「おめでとう」と渡された一輪のバラと卒業証書を持って、足早に、誰にも報告することなく、誰もいない自分の家へと帰った。




あれからもう、7年が経つ。

一人暮らしを始めてから、お父さんから連絡が来ることはほとんどなかった。連絡が来るとしたら、業務連絡のような、そんな内容だけで。

用事があって会うことがあっても、私の仕事がどうだとか体調がどうだとか、そんなことを聞かれることもなかった。

その横で、子供たちに向けて「パパ」の顔をする。
私の体調は気にならないのに、子供たちには「今日も暑かったから大変だったね〜、冷たいお茶飲む?氷たくさん入れてあげようか?」「ランドセル重たいでしょ、こっちに置いていいよ。重たかったね〜、大変だったね〜」などと言っている。

本当なら、その顔を向けてもらえるのは、私と弟だったのにな。「パパ」と呼べるのは、私と弟だけだったのに。

私が体験することのできなかった家族の続きをしているお父さんに、何度も何度も腹が立った。私はもう二度とやり直せない家族を、お父さんは簡単に手に入れた。



その家族の瞬間を大人になってから改めて見てしまった私は、それがきっかけで体調を崩して、心療内科に通うようになった。不安障害だった。

他人の家族を見ることさえ辛くて、こわくて、悲しくて、寂しくて。スーパーにも薬局にも行けなくなった。外に出られなくなった。ご飯が食べられなくなった。朝も夜も眠れなくなった。

家族に無条件に愛される友達が羨ましくてたまらなかった。
頑張らなくても好かれる努力をしなくても、愛情をもらえることがあるなんて。それを愛情だと思うこともなく、当たり前に受け取っている日常があるだなんて。

それは私が知ることのない日常だった。
その現実を、大人になってから知った。
ずっと目を逸らしていたことだった。




それでも、お父さんにもお父さんの人生があるんだよね。
私のお父さんという人生だけではないんだよね。

愛する人と一緒になって、その人との間に子供が二人もできたこと、その四人で家族になれたこと、それがお父さんの望む人生なのであれば、そこに私はいらないから。私は、家族ではないから。


あの時。私の家族がなくなった時。
お父さんが私のお父さんではなくなった時。
毎日涙が止まらなかった当時の私を、ぎゅっと抱きしめてあげたい。

本当は、その愛情は、私だけがもらいたかったね。
その親の顔を見ることができるのは、私だけが良かったね。
私たちの家族で、ずっと、一緒にいたかったね。

でももうそれは叶わないから。
どうやったって叶わないから。
自分が持っているもの全てを捨てたとしても、叶わないから。

私が、諦めなくてはいけないんだと思う。
私が、折り合いをつけなくてはいけないんだと思う。
私が私を助けてあげなければ、きっと一生、このままだから。



だから今日も、私自身はどうしたいのかを自問自答する。

自分の気持ちよりも、相手にどんな私でいて欲しいかを気にしてきた人生は、思ったよりもしぶとくて、こびりついた汚れのように取ることができない。

自分の気持ちに気付こうとしても、本音を覆う分厚いガラスのようなもののせいで、私も私が分からない。

日常のふとしたことがきっかけで、今でも鮮明に当時を思い出す。まるであの頃の私が戻ってくるかのように、あの瞬間に引き戻される。

そんな心のタイムスリップを続けて、その先に一体何があるのだろう。
私は、早く私を、取り戻したいだけなのに。




お父さん。
今、幸せ?

家族で同じテーブルを囲んで食べるご飯は美味しいの?家族で一緒に眠る夜は、寂しいだなんて思うこともないの?自分が誰にも愛されてないと、必要とされてないと感じて、悲しくなって涙が止まらない日はないの?

「おはよう」「おやすみ」
「ただいま」「おかえり」
「いってきます」「いってらっしゃい」

それを当たり前に言い合える日々は、一体どんな一日になるの?

お父さん。
私、恨んでないよ。
お父さんの人生だから、お父さんが決めたことだから。
だからもう、恨んでないよ。
だけどもう、その幸せを手放さないようにね。
子供たちを、もう傷付けることがないようにね。

これから先もずっと、幸せでいて。


2023.05.23

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