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遺伝子からの届け物 #10

気がつけば、兄は絵を描いていた。
畳の上にうつ伏せになり黙々とペンを動かしている事もあれば、小さな机に紙を置きずっと向き合っている事もある。学校帰りの夕日が差し込む時も、土日の平穏な太陽が照らされる朝も、12色の色鉛筆を横に置き白い紙と一緒にいた。まるで白い紙の中には彼にしか見えないもう一つの世界があるように、兄は色とりどりの鉛筆と共にその中に吸い込まれていた。

僕と兄の顔は双子に間違えられるほど類似している。目、鼻、口の位置関係にしても相対的に見える顔の輪郭も自分を鏡に写したかのように似ている。お金には縁がないと産まれながらに定めを受けた情けない小さな耳朶さえも全く同じ形をしている。一つだけ外見で違うものがあるとするのなら、それは髪の毛であり兄はごわついた太めのストレート、僕は柔らかめの縮毛であった。
そして、内面には大きな違いがあった。祖父がカメラマンであったように、僕の家系には美的な創作物を生み出す芸術に富んだ血が流れていたのだろうと思う。中でも、一つ歳上である兄においては僅か一桁代の年頃から突出した才能が発揮されていた。兄には芸術性、僕には縮毛の遺伝が祖父から伝承されていた。

「今日は何を描いているの?」
僕は兄の背中を見て、ペンが止まった瞬間に聞く。
「イヌだよ、今日学校の帰り道に犬の散歩をしてるお婆さんがいてそれを描いてる」
兄は比較的大人しい性格であり普段は一言二言くらいしか喋らないが、絵について問うた時その閉ざされた口は封を開ける。
気づいたら、さっきまで真っ白であった紙の上には、犬の散歩をする物腰柔らかなお婆さんが描かれていた。お婆さんの顔には細かな皺が浮き出ているが、彼女の優しい性格がその皺に深みを与え温かい笑顔を浮かび上がらせている。隣にいる犬は同じ生き物である事を感じさせるように表情を作り、お婆さんと同じ顔つきで笑っている。小さな温かみを帯びたそよ風が吹くように、鮮やかな白髪と犬の茶色の毛が靡いている。
兄の絵は命を吹き込むように紙に物語を乗せていた。人類の有効な伝達手段が“言葉”だとするのであれば、兄の場合絵を通じて感じる事や考えている事を伝える方が遥かに有効だと思う。

学校には、数学や体育、音楽の授業などクラスに一人は”超越した才能”が露わになる者がいる。「数学の才能」「運動の才能」「音楽の才能」卓越した能力は、硬い地盤を押し上げる隆起が表層地質を変化させるように周囲に大きな影響を与える。インド亜大陸とチベット高原の間にヒマラヤ山脈が形成されたように、生活する人々の“道を歩く”という習慣を、突如“山を登る”とういう過酷な試練へと変えるのである。
あるいは、訓練では補う事のできない凡人の限界を遥かに超え、周囲に無力さや儚さを痛感させる事さえある。翼を大きく広げ上昇気流に舞行く鷹を、人間という地に生きる生き物が到底できないものだと、ただ空を見上げるように。

「どんな才能を託されたのか?」
ふと、目を閉じ考え耽る時、僕は螺旋状の遺伝子構造で出来た階段をグルグルと駆け上がるように、染色体のDNAの全遺伝情報の中に隠される”何か”を探しに出る。僕の母、その先にいる祖父母、その先にいる祖父母の祖父母、繋がれる無数の糸を迷路のように辿りながら、体に巡る血液を感じ永遠と探し求めるのである。

今この瞬間、息をし延々と続く胸の鼓動を感じる限り僕の体には脈々と“何か”を含むその血が流れている。遺伝子という人類の進化を通じ、今この世界に生きる僕に何が託されたのか。そして、何が期待され生きた血肉を世に使うのか。今でも僕は、遺伝子から届けられたその“何か”を探し続けている。

写真が写すもの#9想像と創造#11

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