ミュージシャンがアウトドア会社を興す起業記録 2

秋の涼しい風が窓から入ってきています。
これまでインスタやFBなど活用してきましたが、長年の友達にはあまり話したくない、素性を知らない人にだから発信できることをこのNoteには書いていこうと思いました。
バレたらバレたということで(笑)

初めてご覧頂いている皆様、読んで頂く時間を割いて頂きありがとうございます。

前章の通りですが、常に家に音楽が流れている家に育ち、好きだったピアノも長年続けさせてもらいました。父はテレビのコマーシャル音楽を作る仕事、料理好きの母は当時住んでいた鎌倉の公民館のカフェコーナーで軽食を作る手伝いや小料理屋の厨房を任されていながら趣味だったリコーダー(縦笛)をずっと続けていました。

機械が得意だった父は一つのレコードのターンテーブルから配線を施しスイッチひとつでどの部屋にも音楽が流れるように工夫して、食事中はジャズを聴きながら、客人が来たらクラシックが流れるような当時にしては珍しくテレビよりもレコードをよく聞く家でした。

兄の影響で始めたピアノも先生に恵まれ、4歳位から小学校いっぱいまで続けました。

最近自分の子供が幼稚園に通うこともあって、ピアノを習わせたい娘を持つお母さんや教育のためにバイオリンを習わせたいお父さん達から、「音楽は早く習わせた方がいいの?」と聞かれることが時々あります。

音楽家の視点で言えば、音を聴き取る力や絶対音感を育てたりリズム感を育てたい、という教育目線で言えば早く始めた方が良いけど、当の本人が楽しくないのであればあまりおすすめはしません。何をやるにしても本人の好みがあるので、それを尊重してあげるべきかな、と答えています。

自分の場合は起きてから寝るまで音楽が好きで好きで仕方なかったから続いた、ということなので。

和食より洋食が得意だった母は絶品のカレーやオムライス、おやつには手作りのマドレーヌやパウンドケーキを焼いてくれて、お菓子というものはそういうものだと当時の自分は思っていました。ここだけ読むとよほど立派なお家に育ったと思われそうですが、隙間だらけの家でムカデやゲジゲジ、なんでもアリの家だったことは前の章で書いている通りです。

弾けなかった音が弾けるようになる。

野球やサッカーでも同じように、練習すると次々と技がついてきます。でも、大切なことは「好き」です。 嫌いで練習しても、目的に到達するまで果てしない時間と、やりたくない涙や、魅惑のテレビアニメが否応なしに誘ってきます(笑)

「好き」

これがその後、自分がプロとして全国を廻るようなツアーに参加するようになるまで、そしてアウトドアの会社を興すまで動かす原動力であることを少しずつお伝えしていきたいと思います。

ありがとうございました。
また次章に続きます。




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