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「#11」家族の喪失と認知症

みなさま、こんにちは。カンボジアシアヌークビル在住のそくあんです。
前回のあらすじはこちら。


「喪失と確執」



母親の苦悩と私との複雑な関係


母親はポル・ポト内戦で生死を彷徨いながらも生き延び、家族との再会を果たしましたが、その喜びもつかの間でした。実父を内戦で亡くし、兄弟たちも内戦で亡くなってしまったという痛みと喪失感が母親の心を深く打ち続けました。

そして、離れ離れになっていた家族と再会したものの、その時に初めて母親は認知症を患っていたことを知ることになりました。
祖母の世話をしている母親の姉が、耳元で「あなたの娘が帰ってきたわよ!」と言っても、母親は認識することができなかったようです。
この絶望的な状況で、母親は自分を取り囲む家族が自分を認識してくれないことに苦しんだようです


中央が祖母と兄夫婦と家族の写真

日々のやり取りが続きながらも、最後まで母親は自分を娘として認識することができず、無念な気持ちで田舎を離れることになります。その数年後、母親が老衰で亡くなったことを知らされた時、娘である母親は故郷の遠くで悲しみと喪失感に包まれました。

私は母親の辛い心情や複雑な感情を完全に理解することはできませんが、母親が経験した苦難と喪失に寄り添い、母親の心に深く共感しながら、敬意と思いやりをもって接してあげるべきだったのでしょうが、
他人にはけして理解してもらえないであろう「母親と私の確執」がありました。


[#04]困難に立ち向かう両親の軌跡

両親が日本に来た経緯を書いてます。
一読をおすすめします。


聞こえぬ世界の中で


母親も若くしてポル・ポト内戦を生き延びた1人です。
前述の記事でも述べた通り、母親は後天性難聴を患ったことにより、親子関係に大きな隔たりが生まれました。

第三国に定住する前に健康診断がありました。この時、母親は腎臓病を抱えていたため、治療を優先するために日本への渡航が許可されてます。
初めての飛行機に乗るとき、母親は期待と不安が入り交じった心境でした。
機体が離陸し上空に向かうと、耳がつんとなる瞬間があります。
それは多くの人が一度は経験したことでしょう。
長時間のフライトを終えて地上に降りるときも、耳に違和感を感じますよね。母親はそれが特に強かったようです。

無事に着陸し、母親も私も、人々もみんなが安心しました。
手荷物をまとめて空港をでるとボランティア団体が難民の母親たちを暖かく迎えてくれました。


1987年9月1日日本に上陸した日の母

難聴を抱える母親の心の声と生きる意志


その後「大和定住促進センター」に到着し、入所手続きを行います。
オリエンテーション内の健康診断で母親は耳の違和感を相談員に訴えます
すぐに検査を受けた結果、両耳が聞こえず後天性難聴と診断されましたがタイ難民キャンプ内での健康診断では耳の異常は見つかっていなかったのに、なぜでしょうか。

その事実を母の口から聞きたかったのですが母との確執によって物心ついたときには親子の会話はほとんどありませんでしたし、母は2019年3月闘病のすえすでに他界してます。

他界と確執については別の機会に詳しく書きます。

アットホームな会社


1987年9月、私たちは日本に上陸し、大和定住促進センターでの生活を送った後、同年2月に神奈川県伊勢原市という小さな町に引っ越しました。
この町で、難民受け入れをしてくれる車部品製造の会社が見つかったためです。最初、両親は別々の会社で働いていましたが、父親の社長さんの理解もあり、母親と一緒に働くことになりました。
そして、この25年以上の間、両親は二人三脚で朝から晩まで働き続けました。この時には、すでに母親は耳が聞こえていなかったようです。

小さな工業団地内にある会社は、アットホームな雰囲気で、難民である母親たちを大歓迎してくれました。小さな子どもが熱を出したときも、会社に連れてきても良いと声をかけてくれたり、BBQやイベントの際にも優しく接してくれました。朝早くから兄弟を自転車に乗せて駅前の保育園に預け、その後会社に向かう母親。耳が聞こえない母親を24時間サポートする父親。いつも2人は一緒に行動し、支え合っていました。


次章- 外国人児童としての学校生活-


なぜ私が日本を離れてカンボジアのシアヌークビルに移住したのかに興味を持ってくれる方、将来の海外移住を考えている方や子供の教育について考えている方、またはカンボジア全般に興味がある方は、ぜひ私のnoteをフォローしてくださいね。

最後まで読んでくれてありがとうございます☺

SOKOEUN

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