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我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく。 それなら僕は。

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この前、電車の最後部車両で後ろを正面にして座れる席があったので、座って見ることにした。

線路がどんどん奥に吸い込まれていくようなその風景は、とても新鮮で色々と考えてしまった。

奥に吸い込まれるレールを見ていると、先にあるレールの形もなんとなく予想できるような感じがするのだ。

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少し話は飛んでしまうが、「これから先どうなるのだろう」と、将来への漠然とした不安だったり、逆に希望を感じたことはないだろうか。

そんな普遍的な悩みに対して、一つの考え方を与えてくれるのが、メディア論を提唱したマーシャル・マクルーハンだ。

彼は「我々はバックミラーを通して現代を見ている。我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」という言葉を残した。

今日はこの言葉を検討しつつ、自分たちの未来をどのように考えるべきかについて語ってみる。

出典:Wikipedia「マーシャル・マクルーハン」

私たちは、過去をみることでしか現代を捉えられない。

「我々はバックミラーを通して現代を見ている。我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」

この言葉を図に表すとこんな感じになるだろう。

©︎Sokke

バックミラーにうつるのは当然、自分が少し通り過ぎた場所の景色だ。

僕たちはいつも、今を見ることはできると言うけれど、マクルーハンによれば僕たちが現在だと思っているものは「少しだけ過去」なのだと言っている。

未来に向かって、後ろ向きに進んでいく。 それなら僕は。

ここで、僕が電車に後ろ向きで座った話に戻りたい。

人間は歩くとき、普通は前を見て進むから、後ろ向きで進んでいく風景は不思議だった。

後ろ向きで進んでいるのに、吸い込まれるレールを見れば、この先進んでいく道がわかるように思えた。

このことから考えたことがある。

私たちが未来に対して不安になる時、それは、過去のレールから外れたり、過去のレールが見えなくなっている時なのではないか。

小学校、中学校、高校、大学。
僕はこの全部に学費を払ってもらって、レールから外れることがなかった。

そして、このレールの最終区画が「就活」であり、ゴール地点は「安定している企業への就職」である。

このようなレールに乗り続けている限り、不安を感じることは少ないのだろう。

でも、人によっては、どこか心の奥で「このままで良いのかな?」という思いが残り続ける。

レールを見ることでは予測がつかない所を羨望しつつも、レールが見えなくなる選択をしたり、レールから外れようとしてみれば、不安が襲ってくる。

けれど、「我々は未来に向かって、後ろ向きに進んでゆく」のだとしたら、どこかレールの先には見えない遠い所へ行きたいなら、今見えているレールからは外れる必要がある。

今見えているレールがあるのなら、どんな未来に向かっていくのかは、考えてみたら分かるのだ。

その未来は、今の僕にとっては求めるものではないから、僕は今のレールから逃げるようにこの先を進みたいと思う。


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