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呼吸の瞑想(6): 煩悩からの解放

 おはようございます。前回煩悩には貪瞋痴の3つがあることを学びました。この煩悩に気づくことができるようになったら、そこから心を開放していく訓練をしていきます。

第三の四考察(心に関する考察)
9. 「心を感じながら息を吸おう。心を感じながら息を吐こう」と訓練しなさい。
10. 「心を喜ばせながら息を吸おう。心を喜ばせながら息を吐こう」と訓練しなさい。
11. 「心を安定させながら息を吸おう。こころを安定させながら息を吐こう」と訓練しなさい。
12. 「心を解放しながら息を吸おう。こころを解放しながら息を吐こう」と訓練しなさい。

 10番目の考察は「心を喜ばせながら息を吸おう」というものです。前回の9番目の考察で自分の心の中にある煩悩(のうちの貪と瞋)を見つめる訓練をしました。10番目の考察では自分の心が喜ぶのはどのようなときかをさらに考察します。9番目の考察で自分の中にある、対象へと向かう執着心に気づきました。まずはこの執着心を静めることが重要です。そのためには呼吸に意識を集中して、そのような心を静める瞑想が有効でしょう(第3回参照)。でもまだそれだけでは十分ではないかもしれません。そもそも自分がどのようなときに喜びを感じるかに心を向けることで、自分の中に隠れている価値観、すなわち自分が快を感じる根底にあるものが見えてくる可能性があります

 たとえば物質的・金銭的な欲望が満たされたときに喜びを感じるかもしれません。どこかのブランドのアイテムやお金が欲しかったりするでしょうか。あるいは人間関係や社会的地位に関する欲望が満たされたときに喜びを感じるかもしれません。人から認められることや職場での昇進、あるいは恋人ができることを望んでいるでしょうか。どのようなときにあなたの心は喜びで満たされるでしょうか。幼少期の経験が大きな影響を与えていることに気づくこともあるでしょう。自分の心が喜びで満たされること自体は悪いことではありません。何が自分の喜びにつながっているのか、自覚をすることが大切です。自分の心としばらく対話をしてみてください。

 欲望が満たされればあなたの心は喜びで満たされるでしょう。しかしその一方で、喜びは残念ながら永遠に続くことはありません。人の心は一度満たされても、そのことを忘れてまたすぐに次の欲望を探し始めるものです。せっかく手に入れた欲望の対象自体が失われてしまうことも多々あります。要するに、欲望にはきりがないのです。欲望を満たすことでは欲望から逃れることはできないというパラドックスに、われわれは直面するのです。そのことを繰り返し瞑想で考察してみてください。嫌悪についても同様です。嫌悪から逃れることによる喜びも永遠に続くものではありません。

 上の考察を通じて、自分の煩悩の生起をありのままに捉えられるようになり、欲望を追い求めることの空虚さに気づくことができます。そのときに「心を安定させながら息を吸おう」という11番目の考察に進むことができます。煩悩に捉われている自分は苦しいですが、煩悩を的確に捉えることでその苦しみから少し距離を置くことができるようになります。無理のその煩悩を消そうとする必要はありません。自分の煩悩の傾向を知ればこそ、そこから離れていくことが可能になります。この能力を養うことで、煩悩の中にいながらも、自分の心を安定させることができるようになります。これはお釈迦様が瞑想を通して見つけた重要な発見です。

 そこから12番目の考察へは自然と進みます。「心を開放しながら息を吸おう」。煩悩を見つめることができれば、自分の心に浮かんでくる煩悩と執着心との距離の取り方がわかります。そのままに受け入れることができるようになります。煩悩に心が捉われなくなること、これは煩悩からの解放です煩悩の姿をはっきりと捉えて、そのままやり過ごしましょう。そうすれば煩悩に自分が支配されることはありません。この境地をまずは体験してください。ただし、この解放はまだ完全ではありません。次回お話しする「智慧に関する考察」を身に着けることで心の解放は完全に近づいていきます。

 本日も最後までお聞きいただき、誠にありがとうございました。

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