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もはや尊敬に値する我が娘

京大卒元メガバンカーの総一郎です。


娘の成長は面白い。

保育園で覚えてきたのか、元妻のところで覚えてきたのか、落としたお菓子をフーフーして食べた時には笑った。

良い教育がなされているようだ。

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▼もはや尊敬に値する我が娘
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先日、東京で珍しく大雪が降った。

日当たりが悪いところはまだ溶けずに雪が残っていて、娘からしたら嬉しいものだ。

「手袋が無いと触れない」なんて現代人っぽいことを言っていたが、喜んで雪を見に行き、僕が素手で触っているのを見て一緒に触り出す。

雪を投げたり、足で踏んだり、雪だるまを作ったり、雪だるまを壊したり。

「雪だるまのお鼻はニンジンが良いな。一緒に降ってきたら良いのにね。」

なんて大人では考えもつかないことが聞けて面白い。


雪で遊びだすとしばらく家に帰りたがらない。

今日は「雪を持って帰りたい」「パパ持ってて」と言われ、素手で雪玉を持ちながら家路に就く。

片手は娘と手を繋ぎ、もう片方の手で雪玉を持つというのは、この寒空の下ではなかなか厳しいものが有る。

手が凍える。

なんとか雪と接する表面積を減らそうとセコいことを考えていたせいもあり、

手をつないだ先の娘がジャンプしたりした拍子に、僕は家を目前に道路の側溝に雪玉を落としてしまった。


そこで娘がかけてくれた言葉が我が娘ながら素晴らしかった。

娘は驚くべきことに、


「また行ったときに取ってくれば良いよ」
(また雪がたくさん残っているところに行ったときに雪玉を取ってくれば良いよ)


と励ましてくれた。

きっと元妻の教育が良いのだろう。

他の3歳児を知らないのでただの親馬鹿かも知れないが、3歳児だったら

「なんで落としちゃったの!」
「また取ってきて!」
「雪持って帰る!」

なんて泣き出して、僕を責めたり駄々をこねたしりてもおかしくないような気がする。

雪玉にそこまで興味や執着が無かっただけかもしれないが、その言葉をかけれるのはすごい気がする。

本来親がかけるような言葉だ。

大人でも相手の失敗を非難することなど日常茶飯事なのに、

ここで「また今度で良いよ」「まぁいっか」と言える3歳児にはもはや尊敬だ。

親同士がお互いを非難し合っているのを聞いていたらきっと子どもも相手を非難し自分の非を認めないという手段を覚える。

親同士が感情に任せて相手を屈服するのを見ていたら、きっと子どもも感情を高ぶらせて相手をコントロールする術を覚える。

親が男女差別、人種差別的な発言をしたら、きっと子どもも「差別して良いんだ」「差別するものなんだ」と勘違いする。

親がお金が無いと言っていたら、きっと子どももお金が無いという感覚を覚える。


逆に、親が相手を非難しなければ、感情に任せて屈服させたりしていなければ、そんな手段が有るなんて夢にも思わないのかもしれない。

親が差別的な発言をしなければ、きっと子どもも差別など思いつきもしない。

親がお金のマインドブロックを持っていなければきっと子どもも持たない。


もちろん歳を重ねるにつれて親以外との時間共有の方が長くなっていくので、親が与えられる影響など限られているのかもしれないが、

人格形成される歳まで、トータルでの時間共有の長さは圧倒的に親が長い。

親の責任は軽くは無い。

”与える”なんて上からな表現はおこがましいが、出来ることなら良い影響を与えたいものだ。

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