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ぼ。(近作 2019.1.28~3.18)
食玩の目に傷深き春の暮
新聞に砂漠あさりはぽぽと云ふ
熱病に雪解のひびく花屋かな
雪のひま化石ぷかぷかと育ちぬ
美食家の目に傷深き春の宵
長靴に砂漠かざぐるまからから
熱病に春の樹まがる指先の
ながき日の牢ぷかぷかと語られり
クラムチャウダーは一品目がいい
鐘楼のときは山羊座の尾骨あり
遠山に火葬場うごく寒さかな
鮟鱇を買ふひと定規を飼ふひと
凸柑はワルツのなかに落ちにけり
硝子屋を過ぎて煙草のかをる雪
不沈艦めく寒卵 どうと言ふぞ
聖夜いまB棟五階東側
*
橈骨の痛む聖夜を俯きぬ
薬瓶の底も聖夜や川底も
にんにくの「にん」の音のみひゞく 村
漂つて駅舎の雪を買い漁る
爛々と逆立つ枕らくだ鳴く
「今シュールレアリスムなんて言ってる奴はセンスがない」
青年は白髪にして青梅ひろふ
永遠は首都のトマトを買ひ帰る
庭園は澄む点滴に棲みにけり
平面は汽笛のうららかにながく
霊園は人日の雨 ながければ
信仰のやうな洗濯竿灼かれ
沈降の野を僕いるだけの長閑
淫行の報道いまは沼さやか
「貧幸」の意味知るもよし端居の背
燐光の服交ふ其処を初烏
骨董屋主人入水の月を買ふ
雪を待つみづしづみゆくそのながさ
みづうみのめまい竿のみすゞしかれ
Inuendo (about the child)
どうぶつはおててをひらくゆふづくよ
葡萄熟れて旧道は晴れ間をのこす
「身命を賭す。」天高く「シンメイヲトス」
ばらばらの鱈さらさらの体に葉
伯爵の咀嚼子爵は河豚を断つ
飯店の半纏単に反転す
浮上するあばらさやけし滾られり
あをあをと鎖骨讃へて検査着の霧
再録の波ほおずきのふとゆらぐ
カリストの醜聞朝焼の自室
おしまい
「心地良さ」と「気持ち良さ」
俳句をしているうちに、「心地良い」句と、「気持ち良い」句、というものが生まれていることに最近気付いた。そして、こころなしか、「心地良い」句は比較的写実的なもの、「写生」を感じるような作品で、「気持ち良い」句は写実的ではないようものだとわかった。
遠山に日の当りたる枯野かな / 高浜虚子
春月の病めるが如く黄なるかな / 松本たかし
手をつけて海の冷たき桜かな / 岸本尚毅
顔痩せて次
個人的メモ⑤やっちゃえ、おまいら
賞に向けて連作を作ること、句会に向けて単作を作ること、天王星賞の選考でたくさんの句を読むこと、句会や雑誌で単作や連作を読むこと、これらの機会が増えて、作品としての刺激を常に受けていて、満足の行く俳句的生活を過ごしているように感じていたが、どうやら深層心理は満足していないらしい。何か、刺激的な企画が欲しい、何かないか、と考えた時にふと、読んでいた本で「巌流島の戦い」について言及されていた。
これだ
個人的メモ④線路は続くよ、どこまでも
過去にこんなつぶやきを見たことがある。北大路翼は、加藤楸邨、今井聖の系譜上に存在するから、彼は「人間探求派の流れを汲む存在」、もしくは人間探求派そのものだ、という内容のものである。
確かにあながち間違ってはいないかもしれない、とふと思った。彼の作品の特徴や、「屍派」などといった活動といった彼の俳句に対する態度全般として、表現しているものには「人間の愛すべき露悪」や「“諧謔性”という堅苦しさから“ギ
つぶやきは無内容だからつぶやきと言う①
まあ、詭弁かもしれない。「常識にとらわれず自分の世界を
〜」というある文面を見た時に、僕は思った。常識を知らなくちゃそもそもとらわれることもないじゃないか。常識を知ってこそ、そこから外れようと意思が持てるんじゃないか、と。詭弁かもしれないな、とは思ったが、どうも腑に落ちなかった。
ろくなもんじゃあないのに、な。