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反卓上派宣言

やっぱり吟行が僕の本質だな。

と最近思うようになっている。しかし、吟行とは一体なんだろう?もう俳句をはじめてそろそろ二桁の年数になりそうだというのに、吟行が何たるか、改めて考えたことは無かった。
デジタル大辞泉によると、「和歌や俳句の題材を求めて、名所・旧跡などに出かけること」だそうだ。
・・・・・・・・・うん、あまりそういう意味合いでの吟行はしていないかもしれない。というより、そういう意識を持って吟行をしたことは少ない、というべきだろう。では、僕はどういう意識を持って吟行しているのか。

すると、最近の自分が反卓上派であることに気付いた。
と言うのも、僕は、「今、ここで」の集大成のようなものを吟行する際に吐き出しているのではないか。
ならば、それはもはや日々是吟行と言っていいだろう。特別な日々ではないが、吟行によって、特別ではない日々の「今、ここで」を旧跡や名所と同じように特別に扱うことが出来る、独特な愉悦のようなものを感じているのだと思う。
卑近の出来事として、イラストレーターのsakiyamaさんとコラボしたが、その句のなかで「チェーンソー」という題材を扱ったのも、最近僕がハマっているゲームの「Dead by Daylight」からのものである。非日常的であるはずの「チェーンソー」も、こういうかたちで、日常的題材として僕の中で定着してしまっている。言い訳がましいかもしれないけど、僕にとってこれは卓上の言葉ではないのだ。

日々是吟行、まさしくその言葉が最近の僕の作句態度を表していると思う。また、卓上で作るということの虚しさを、独特な愉悦が物語ってしまったのだ。
この考えに変わってから、ある時に「僕は吟行が嫌いなんです」という人と出会ったことがあるが、その時に言い知れない反感を感じたために今回こういった仰々しいタイトルで書きたいことを書きなぐったようなかたちになる。
無論、お前の言い分は詭弁みたいなもんだろ、などと言われかねないかもしれないが、言いたいことは言わせてもらいたい。

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