見出し画像

【科学者#060】大陸移動説を評価された雪の中に消えていった科学者【アルフレート・ウェーゲナー】

現在大陸が移動しているということは、当たり前の知識として伝えられているのですが、1900年代前半までは大陸が移動するなんて考えられませんでした。

この大陸移動説を提唱した科学者は、最後グリーンランドの大地に消えていってしまいます。

そして死後約30年後に、プレートテクトニクス理論が提唱されたことにより、大陸移動説が再評価されます。

今回は、大陸移動説を評価された雪の中に消えていった科学者であるアルフレート・ウェーゲナーを紹介したいと思います。




アルフレート・ウェーゲナー

アルフレート・ウェーゲナー

名前:アルフレート・ロータル・ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener)
出身:ドイツ
職業:気象学者
生誕:1880年11月1日
没年:1930年11月2日(50歳)


業績について

ウェーゲナーは、大陸は地球表面を移動して位置や形を変えるという大陸移動説を1912年に提唱します。

ウェーゲナーは大陸移動説について以下の6つの根拠を挙げています。

地形学的根拠
大西洋両岸の大陸を、大陸棚の端をつなぎ合わせると一致する。

地球物理学的根拠
大陸地殻は海底地殻の上に浮かんでいるモデルが考えられ、大陸の水平移動の可能性がある。

地質学的根拠
アフリカ、南アメリカ大陸の大西洋岸における地質構造が一致する。

古生物学的根拠
古生物の分布状態によるもの。

生物地理学的根拠
海を越えて渡ることができないミミズの分布など、いくつかの大陸が移動していないと説明ができない隔離分布がある。

古気候学的根拠
古生代後半の氷河の分布が、現在の熱帯である地域にまたがっているが、同じ時期の北半球には氷河の痕跡が見られないことなど。

ウェーゲナーの大陸移動説は生前は反対意見も多く、さらにウェーゲナーの死後大半の科学者たちは大陸移動説を取り上げなくなってしまいます。

しかし、ウェーゲナーの死後約30年後プレートテクトニクス理論が提唱され、大陸移動説が再評価されます。


生涯について

ウェーゲナーの父親は神学者で、そして古典言語の教師をしており、ウェーゲナーは5人兄弟の末っ子になります。

ちなみに、いとこには映画の先駆者であるパウル・ウェーゲナーがいました。

ウェーゲナーはハイゼンベルク大学とインスブルック大学で物理学、気象学、天文学を学びます。

そこでは、天文学者のヴィルヘルム・フェルスターや物理学マックス・プランクから学びます。

ヴィルヘルム・フェルスター
マックス・プランク

1902年から1903年まではウラニア天文台の助手を務め、1905年にはベルリン大学で天文学の博士号を取得します。

この頃からウェーゲナーは、常に気象学と気候学の発展途上の分野に非常に興味をもっていました。

1905年からはリンデンベルクの航空気象台の助手になるのですが、そこでは2歳年上の兄であるクルトと一緒に働いていました。

このクルトは気象学と極地研究に興味をもっており、2人は気球を用いた高層気象観測や天文観測をした先駆者としても有名です。

1906年4月には、ウェーゲナー兄弟は気球に乗って行う滞空コンテストに参加し、当時の世界最長滞空記録である52.5時間を達成します。

同じ年の1906年には、最初のグリーンランド遠征を行い、北東海岸の未知の所の調査を行います。

このときは、グリーンランド初の気象観測所を建設したり、凧を上げたり、気球を飛ばして北極での気象観測を行います。

しかし犬ぞりでの探検中に、探検隊のリーダーと同僚2名が死亡してしまいます。

1980年には帰国し、マールブルク大学で気象学、応用天文学、宇宙物理学の講師を務めるのですが、ウェーゲナーの講義は明確で分かりやすく好評だったらしいです。

1910年には、世界地図を見て南大西洋を挟んで、南アメリカ大陸の東海岸線とアフリカ大陸の西海岸線がよくにていることに気づきます。

そして、これが大陸移動説の元になります。

1912年1月6日には、ゼンケンベルク自然博物館での地質調査研究所の講演で、大陸移動説に関する研究を始めて発表します。

1912年から1913年には、2度目のグリーンランド遠征に行きます。

このときは、ウェーゲナーを含めた4人のみで遠征を行います。

1913年後半には帰国し、マールブルク大学で講義を再開し、この年に気象学者のウラジミール・ペーター・ケッペンの娘と結婚します。

1914年には第一次世界大戦が始まり、ウェーゲナーは歩兵予備士官として召集されるのですが、2度負傷したのち、現役不適格であると宣告され陸軍気象局に配属されます。

1915年には、「大陸と海洋の起源」の初版を完成させ、その中で中生代は大西洋が存在せず、現在の大西洋を挟む四大陸が分離して移動を開始し、大西洋が出来たとする「大陸移動説」を主張します。

1919年には、海洋観測所気象研究所部門長に就任したことで、ハンブルクに移住します。

1921年には、ハンブルク大学の上級講師に任命されます。

1924年には、グラーツ大学で気象学と地球物理学の教授に任命され、竜巻の研究だけでなく、大気の物理学と光学の研究を行います。

1929年4月から10月には、3回目のグリーンランド遠征を行います。

そして1930年には、4回目のグリーンランド遠征を行います。

このときは、ウェーゲナーがリーダーになり、14人が参加するのですが、グリーンランドの氷床の厚さを測定したり、北極の気象観測を行うことが出来る常設観測所を設立する予定になっていました。

しかし1930年11月1日に、ウェーゲナーは氷冠の真ん中でキャンプしていた研究基地に食料を届けるため400m離れた基地へ雪嵐の中出発したのですがたどり着くことはありませんでした。

そして1931年5月12日に、ウェーゲナーが行方不明となり捜索隊が派遣されるのですが、基地から190mの所で雪に埋められた状態で遺体として発見されます。


ウェーゲナーという科学者

もともとウェーゲナーはヘビースモーカーで、過度の運動により心不全で死亡したと考えられています。

若い頃から気象学や天文学などの研究を行い、未開拓の土地であるグリーンランドに4度も探検に行き、数々の成果をあげました。

しかし、その最後は仲間に食料を届けるため雪の中に消え戻ることがありませんでした。

今回は大陸移動説を評価された雪の中に消えていった科学者であるアルフレート・ウェーゲナーを紹介しました。

この記事で少しでもウェーゲナーについて興味を持っていただけると嬉しく思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?