【科学者シリーズ#088】オランダ語が出来なくても翻訳した江戸時代の蘭方医【杉田玄白】
1543年に第5回目で紹介したアンドレアス・ヴェサリウスは、普及の名著である『ファブリカ』を出版します。
この本は、ヴェサリウスが自ら行った人体解剖に基づいて描かれた詳細な人体解剖図になります。
実は、日本ではじめて人体解剖が行われたのは1754年と言われており、このことが日本の医学界に波紋を広げました。
そして、この時代に日本語訳された西洋の医学書によって日本の医学は発展していくことになります。
今回は、オランダ語が出来なくても翻訳した江戸時代の蘭方医である杉田玄白を紹介したいと思います。
杉田玄白
名前:杉田玄白
出身:日本
職業:蘭方医
生誕:1733年9月13日
没年:1817年6月1日(83歳)
業績について
杉田玄白の最大の業績としては、『解体新書』の出版になります。
この解体新書とは、ドイツ人の医者であるヨハン・アダム・クルムスの医学書である『ターヘル・アナトミア』をもとにして日本語に翻訳したものになります。
はじめ杉田玄白、前野良沢、中川淳庵らは、1771年3月4日に罪人の解剖を見学します。
この時、杉田玄白と前野良沢の2人は『ターヘル・アナトミア』を持っており、実際の解剖と見比べて『ターヘル・アナトミア』の内容の正確さに驚きます。
そして、前野良沢に『ターヘル・アナトミア』の翻訳を試みようと提案します。
前野良沢はこれに賛同し、さらに中川淳庵も加わり3月5日から翻訳を開始し、4年後に『解体新書』が出版されます。
生涯について
杉田玄白の父親は杉田玄甫(げんぽ)で、江戸時代の蘭方医でした。
ちなみに蘭方医学とは、江戸時代に長崎の出島のオランダ商館医師などを通して日本に伝わった医学になります。
玄白は3男として誕生するのですが、母親は玄白を出産したときに亡くなってしまいます。
成長した玄白は家業の医学修行の他に、江戸幕府の医官である奥医師(おくいし)の西玄哲(にしげんてつ)から医学を学び、古学派(こがくは)の儒学者である宮瀬龍門(みやせりゅうもん)から漢学を学びます。
1753年には、小浜藩の医者になります。
1754年には、京都で山脇東洋(やまわきとうよう)が処刑された罪人の人体解剖を国内ではじめて行います。
これは、日本ではじめて蘭書の正確性を証明したことになり、日本の医学界に大きな影響を与えます。
そして、このことによって玄白は、五臓六腑説への疑問を抱くきっかけになります。
ちなみに五臓六腑とは中国医学における内臓の概念のことで、
五臓とは、肝(かん)、心(しん)、脾(ひ)、肺(はい)、腎(じん)のことで、
六腑とは、胆(たん)、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦(さんしょう)のことになります。
1757年には、小浜藩に籍を置きながら日本橋で町医者として開業します。
同じ年の1757年7月には、江戸で田村藍水(らんすい)や平賀源内たちが物産会を主催し、そこで蘭学者の人たちと玄白の交流が始まったと言われています。
1765年には藩の奥医師となります。
同じ年の1765年には、通訳者の西善三郎(にし ぜんざぶろう)からオランダ語の学習は困難だと諭されたことにより、オランダ語の習得を断念します。
1769年には父親が亡くなり、玄白は家督と侍医の両方を継ぐことになります。
1771年には、中川淳庵(なかがわ じゅんあん)がオランダ商館医から借りた、オランダ語の医学書『ターヘル・アナトミア』を持って玄白のもとを訪ねます。
玄白は、解剖図が精密であることに驚き、藩に相談して『ターヘル・アナトミア』を購入します。
その後、長崎から『ターヘル・アナトミア』を持ち帰った前野良沢と、中川淳庵とともに死体の解剖を見学し、解剖図の正確さに感動します。
その後3人は、『ターヘル・アナトミア』を和訳しようと試みるのですが、玄白と淳庵はオランダ語は分からず、良沢は長崎に遊学したときに教えてもらったわずかな単語と少しの文法しか分かりませんでした。
3人は、良沢が知っているわずかなオランダ語の知識と、蘭学者である青木昆陽(あおき こんよう)の本に載っていた100~200語くらいの単語を使って翻訳を始めます。
そのため、時には数行訳するだけでも数時間もかかっていたらしいです。
玄白はこの時の翻訳の状況について、「櫂や舵の無い船で大海に乗り出したよう」と言っていました。
苦労の末、1774年に『解体新書』を出版し、桂川甫周(かつらがわ ほしゅう)によって将軍家に献上されます。
1776年には、医学・蘭学塾である「天真楼(てんしんろう)」を開きます。
1807年には家督を子へ譲り隠居し、晩年には回想録として『蘭学事始(らんがくことはじめ)』を執筆します。
杉田玄白という科学者
杉田玄白は外科の技術が大変優れており、「病客日々月々多く、毎年千人余りも療治」と称されたんですね。
小さい頃から家業の医学修行に加え、医官や儒学者からも学び、藩医や町医者としても活躍します。
その後オランダ語の医学書である『ターヘル・アナトミア』に感動し、前野良沢、中川淳庵とともに翻訳し『解体新書』を出版しました。
今回は、オランダ語が出来なくても翻訳した江戸時代の蘭方医である杉田玄白を紹介しました。
この記事で、少しでも杉田玄白について興味を持っていただけると嬉しく思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?