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子どもたちの「いる」を支えるためのケアとは

病気休暇に入り6週間が経過し、先日、上司から復職に向けた面談を実施していただきました。

面談の冒頭に、わたしが関わっていた教室に入れていない子どもたちからのメッセージボードをいただきました。

そこには…
「面白くないから早くもどってきてください。」
「(一緒に畑で植えた)オクラがおいしいです。」
「スイカやさつまいもも一緒に食べたいです。」等
書いてありました。

それぞれの子どもたちの、らしさが出ていて、とても温かい気持ちになりました。元気ももらえました。

子どもたちは毎日、それぞれの鬱積した思いを、彼らなりの形で表現しているようですが、そのつど、スタッフである先生方に受けとめてもらっているようです。

何よりも毎日休まずに登校できているというところがうれしかったです。
あの子達のがんばりと、受けとめてくれている先生方のおかげだと思いました。

「いる」とは、十分にケアされることによって初めて成立するものだ。
「いる」を支えるスタッフが、「いる」を支えるための大なり小なりの関わりがあって初めて、「いる」は成立しているのではないだろうか。
この大なり小なりの関わりこそが、ケアというのではないだろうか

note『病気休暇中の自己探索の日々の中で気づいたこと③(覚え書き)』より

改めて、東畑開人さんの『居るのはつらいよ~ケアとセラピーについての覚書』に書かれてある、「いる」を支えるためのケアの大切さを再認識しました。

では、学校の教員による、子どもたちの「いる」を支えるためのケアでは、どんなことをすればいいのだろうかということを考えてみました。

その明確な答えが、重松清さんの小説『青い鳥』の中に書かれてありました。

村内先生は、中学の非常勤講師。国語の先生なのに、言葉がつっかえてうまく話せない。でも先生には、授業よりももっと、大事な仕事があるんだ。いじめの加害者になってしまった生徒、父親の自殺に苦しむ生徒、気持ちを伝えられずに抱え込む生徒、家庭を知らずに育った生徒──後悔、責任、そして希望。ひとりぼっちの心にそっと寄り添い、本当にたいせつなことは何かを教えてくれる物語。

本の概要

この小説の中に、『静かな楽隊』という作品がありますが、そこで、村内先生は、次のように話しています。

「先生に、でででっ、できるのは、みんなのそばにいる、こっことだけ、ででででっ、でっ、です。」
「先生がほんとうに、こっ答えなければいけない生徒からの質問は、わたしはひとりぼっちですか、という質問だけなんです。こっ、こここっ、答えは、一つしかないんです。そのために、先生は……お父さんやお母さん以外のオトナのなかで、みんなのいちばんそばにいるんです、先生がそばにいることが、こっ、こっ、こっ、こっ……答えなんです」

『静かな楽隊』重松清

学校の教員による、子どもたちの「いる」を支えるためのケアとは、そばに「いる」ことなんですね。


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