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「クボさんって料理が好きなんですか?」
コンビニであらかじめ買っておいたお茶をカップに移し替えながら陽菜はクボに話しかけた。
「実家が八百屋なんだ。そういう事も関係してるのかもしれん。」
クボは部屋の丸テーブルをよそに窓際の壁にもたれかかり、外の静寂を見つめながら答えた。
「八百屋。ですか。。。」
料理と八百屋がどういった理由で関係しているのか分からなかった。
陽菜はカップのお茶を自分と相手側に寄せて丸テーブルの上に置くと床に腰を下ろした。
「わたし、なんだかさっきのパスタの話を聴いて、すごいなって。」
陽菜はカップのお茶を一口飲み、少し前のめりになりながら窓際のクボに言った。
「新人、あんなもんはなジョーシキだぞ。」
「そうですか。。」陽菜はカップのお茶を覗き込む。
クボは突然すっと立ち上がると、のしのしと陽菜の部屋で一番輝かしい物の方へ向かって行った。
「すごい本棚だな。」自らの経験では形容できない大きな存在と対峙したような視線をクボは向けた。
「本、、好きなんだな。」クボの右手が本棚に触れる。
「はい。。」
「そのミナヅキ?だったっけ。カレーってどうやって作るんだ?」
「えっと・・・」唐突な質問に陽菜は、はたと頭の中をぐるぐると廻しながらレシピを思い起こす。
スパイスは4種類使っていることや、オニオンペーストという素材を探す事、野菜はなるべく沢山使うこと
自分でも他人に説明したことのない自分だけのこだわり、しかしながらそれをメモをとっていたでもないのに話せる自分に驚く。
目線を天井に上げたり、時々クボに戻したりしながら忙しく話す陽菜は悪いことをした言い訳を話す子供を彷彿とさせる。
いつの間にか視線を陽菜に戻し、腕組みをしながら陽菜を見つめるクボ。その出で立ちは、お母さんというよりもお父さんのようなオーラだ。
陽菜もクボの真っ直ぐな視線に応える様になるべく細かく、そしてそのカレーの美味しさをイメージとしてでも理解してもらえる様、言葉を選びながら慎重に話した。

パスタの話しをクボさんがしなかったら、たぶんこんな丁寧な説明はしなかったな。。。

クボは陽菜の話を黙ったまま聴き終えると組んでいた腕をほどき、ふっと息を吐くと丸テーブルの前にドシっと腰を下ろした。
「カレーってのはなァ、インドじゃ使わない言葉だ。インドにカレーは無い。」
たった今説明をし、クボの前に蜃気楼の様にイメージとして差し出された陽菜のベジカレー。
そのふわふわしたベジカレーはクボの一言で一瞬で得体の知れない料理に様変わりした。カレー。。じゃない?これはなんなのだ。。
陽菜は思い描いていたベジカレーの空想を頭の中に引っ込めるとクボの話に集中する。
「新人がさっき話したようなスパイスを多用した煮込み料理には個別に名前があるらしい」
クボさんは本当に不思議な人だ。さっきはナポリタンが日本食とか言うし、今度はカレーという料理はないと言う。
しかしながらそんなクボの話に陽菜は実際は興味津々でいて、その視線は紛れも無く次にクボが何を言い出すのか気になっているそれだった。
クボはジャケットのポケットに片方ずつ手を突っ込んで何かを探すような素振りをし、何も入ってないことを何故か確認してから再び切り出した。

「わしは昔、インド人と付き合ってたんだ」

!!という表情を少しだけしてすぐに顔を元に戻すと手元のカップを握りながら陽菜はクボの次の言葉を待った。二人だけの部屋には時計の音だけが響いている。
「そいつに教わったんだ。インドにカレーなんてものは無いって。」

「外国人が呼びやすいようにそう言い始めた。あいつらには俺がインド人なのかネパール人なのか区別もつかない。全然違うのにって。」

知らなかった。。私があんなにも好きで一生懸命に作っていた料理がカレーと呼ばれていないこと。そして、、
陽菜はあの外国人のコンビニ店員を想った。わたしも彼が何人なのか、わからなかった。知ろうともしなかった。
わたしが作っていたものがカレーではないならなんなのだろう。。クボさんが言うナポリタンみたいなものなのかな。
そして彼は、、彼は本当はどこの国の人なのだろう。クボの言葉と陽菜の感情が頭の中でまた何度目かのぐるぐるを始めている。
一向にお茶には手をつけず陽菜の部屋の壁の一点を見つめるクボ。陽菜はクボの横顔から手元のカップへと再び視線を落す。
カップの中を覗き込むと外側から中心に向かってお茶が渦を巻いているように見えて、陽菜はじっと目を凝らす。ぐるぐるだ。
「アメリカの映画の舞台で日本なんかが映ると中国みたいに映すだろ?それと似てるのかもしれんな。」
陽菜は映画には詳しいわけではなかったが、クボが伝えたい事はなんとなく理解できた。
「カリフォルニア巻きだとかあんなもんはニセモンさ。でもきっと多くの外国人がそいつをスシだと思っとる。」
陽菜はクボの言葉に再び自分を省みる。そうだ。私もあの煮込み料理をカレーと呼んでいたし、そう信じていた。
と、同時に愛読していた水無月コウタロウの存在と世界を何処か否定された様な気持ちにもなり咄嗟に言葉を返した。
「わたしは、、わたしはクボさんみたいに料理は詳しくないけど、でもきっとニセモノでもそういう料理を食べて日本に興味をもつ人、いっぱいいると思いますよ。」
語気は強めないが淡々と真剣な眼差しで話す陽菜にクボは、先程じっと見ていた壁から陽菜の方へ視線をゆっくりと向けた。
「わしはな、、新人。 あの時のインド人の顔が忘れられないのさ。」
「料理だけじゃなく物事には軌跡(ルーツ)がある。それを知らなかった、知ろうとしなかった自分が嫌でな。」
るーつ。。陽菜にとっては耳にした単語ではあるものの、それが一体なんなのか深く考えたことはなかった。
「何事にもその一つごとが世に残るまで様々な出来事が積み重なっとるのさ。わしらだって例外じゃない。」
クボさん、、クボさんのルーツって一体なんなんだろう。元カレがインド人で、うまい棒が好きで。。
壁のシミで星座を作ったり犬にヘチマって名前付けたり、、あなたの軌跡はなんなのだろう。。私は、、じゃあ、私はどうなのかな。。
「新人、過去から今までの日々を大事にな、歩いてきた道ってのは普通なようでそうじゃない。立派な君の軌跡(ルーツ)だ」
私のルーツ。。陽菜はその言葉を暗闇の広がる頭の中に明りを灯すようにポッとイメージした。
その一つの言葉から線が伸び、仙台の街、喫茶店コラフ、ナポリタン、水無月コウタロウ。と単語達が灯りながら繋がっていく。
星座の様に線で繋がったその文字達の連なりは灯りとすれば煌々としているがそれ自体が陽菜にとってなにを意味するのか分からなかった。
陽菜は頭の中を再び暗闇に戻すとクボに向き直り話し出した。
「クボさん、わたし、自分のしたいことがよくわからなくて。。」言葉にして初めて自分が思いつめていた事に気付き、その事実を陽菜は噛み締めた。クボは陽菜の顔を見て口角を少し上げた。
「うん。わしには、それはわからない、が、軌跡を辿ることが何かわかるきっかけになるかもな。」

「わたしが歩いてきたこれまで、、か。」

陽菜は自然と部屋の本棚を見つめた。反射的と言った方が正しいかもしれない。
このまちにくれば、、なにか分かる気がした。。か。。

クボは陽菜の入れたお茶をゴクッと一飲みし、立ち上がった。
「それじゃあ。わしはそろそろ帰らしてもらうよ。急にお邪魔してすまんのう。」
陽菜は突然のクボの忙しない動きに少しもたつきながらも立ち上がり
「あ、クボさん、、ありがとうございました。」
玄関先までノシノシと歩みながらクボは見送ろうと付いてくる陽菜に言葉をかける
「カレーと聴いてな、わしも昔を思い出してしまったよ。」
所々穴の開いた長く履いているだろう黒のハイカットのスニーカー。クボはそれを履き終えると
「あぁそうだ。」と、陽菜に向き直り
「ノープロブレム!!」唐突に叫ぶと親指をグッと突き出した
「。。えっと。。」
「インド人の口癖だ。」

そういうとクボはニシシと笑った。


自費出版の経費などを考えています。