きくいけ_創

紙ものデザインで食べてたり食べてなかったりする人。最近はほとんど食べてない。人生に岐路…

きくいけ_創

紙ものデザインで食べてたり食べてなかったりする人。最近はほとんど食べてない。人生に岐路があるとすれば、今なのかもしれないとかぼんやり考えながら色々と逃している。

最近の記事

『酢豚をパイナップルに入れる』を読んで

『食わず嫌い』とは、食べたこともないのに嫌って食べないことであるが、某お笑いタレントのテレビ番組のせいで『好き嫌い』と混同・混用され、今やよくわからない。 私は基本的に好き嫌いで食べられないものはない。好んで食べないものはある。豆ごはん、牛乳、生肉、ナスのぬか漬け、フルーツ全般。出されれば食べるが自分では選ばない。 唐辛子系の辛いものと牡蠣は、好きだけど体が受け付けないので、好き嫌いにはカウントされないと思う。 パイナップルは好きだ。 フルーツの中でも、いちごとパイナップル

    • 『親の愛など知るものか』を読んで

      「美しさは罪」とは誰の台詞だったか。 何かに心を奪われたなら、まだどうにかがんばれば返してもらえる可能性もなくはない。 では、何かに心を狂わされてしまったら? 狂ったものはなかなか元には戻らない。もうそのあとは一生引きずることになる。 なぜなら、本質的にこの世界に正常は存在しないから。 罰として。咎として。古タイヤを。さあ走れ、炎天下のグラウンドを。ちゃんと水分と塩分は摂れよな。 つまり、一度でも魅入られた者にタイヤを一生引きずらさせる力、それが美しさである。 そしてそれは

      • 好きな顔はありますか。 好きな顔の系統(≒好みのタイプ)という意味ではなく、もっとストレートに、この人の顔が好きだ。ただ見つめていたい。いや、チラチラ覗き見たい。でも決して恋愛対象というわけではない。そんな顔。好きな顔。 人には同性でも異性でも関係なく、恋とか愛も関係なく、更には美醜も関係なく、好きな顔というものは誰しもあるのではないかと思っている。おそらく、いや、あくまで勝手な想像でしかないけれどたとて目が見えずとも。 顔立ちと書く方が正しいのではないかと言われるかもし

        • 半人前がいっちょまえに部屋のすみっコ見つめてかわいい

          (2019年にすみっコぐらしに関して書いて下書きに放置していたものを改訂して放流します) すみっコぐらしはお好きですか? 「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」は観ましたか? そうですか。オーケー、じゃあ私とお話しましょう。いえ、いいんですよ。全然気にしませんから、そういうの。私、かわいいの大好きなんで。どうぞどうぞ、ここに座って。ええ、隣に。ふふ、あったかい。 観てからしばらく経ったので、そろそろネタバレしても大丈夫なんじゃないかと思いつつ。 元々、そんな

        『酢豚をパイナップルに入れる』を読んで

          『猫と針』を読んだあとに

          恩田陸の小説が好きだ。 それは高校生の頃に『六番目の小夜子』と出会った時からずっと変わらないし、新作が出る度に大体の作品は読んでいると思う。 とはいえ、中にはいまいち好きになれないものもあるし、そもそも作者本人のことはよく知らないし、冒頭だけ読んで放っているものもある。ましてや新刊の発売をチェックしているわけでもない。 本屋に寄って新刊の棚で気付かなければ読んでいないことはままある。そして、映像化などのメディアミックスにもほとんど気付いていなくて、直前に誰かから聞いて知

          『猫と針』を読んだあとに

          『ピンクの象を考えない』を読んで

          “大塚加子は目を覚ます。彼女は十五歳である。” 果たして、これは誰の物語であろうか。 最後まで読むと、新城優姫の物語のようにも読める。 概ね大塚加子の物語の体裁で進んでいくが、じゃあそれはどの大塚加子なのか。もしくはどの新城優姫なのか。 「人をやるのが――」( https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=11892720 )の時と遠からず近からずだが、あちらは引き算でこちらは足し算と言えるか。いや、言えるだろうか。 何にせよ経験値を積

          『ピンクの象を考えない』を読んで

          『お赤飯を炊かないで』を読んで

          一目惚れしたことはありますか。 だいたい一目惚れってなんですか。そんなもの本当にあるんですか。米のことなら知ってるけど。 運命だとか、偶然だとか、そういうよくわからない不確定な要素を取っ払って、もし一目見た時に尋常でない好意を抱くことがあるとして、それは一体どんな根拠の元にそう判断されたのかとても気になる。 そして、一目惚れで両想いの対魔忍と一般女子の恋愛とは一体どういうものだろうか。 お赤飯。それは腹持ちがよく、モチモチ食感の紫色をした食べ物である。小豆の存在がアクセント

          『お赤飯を炊かないで』を読んで

          大切な人はもういない

          今日は2020年6月16日。 あの人が生きていれば42歳の誕生日。 大好きだったあの人の誕生日。 もう歳を取らないあなたに、5歳差が少しずつ近づいていく。 私はあなたが死んだ年齢まで生きられるだろうか。

          大切な人はもういない

          好きとか愛してるとか、そんなの言えるかいな重力無視して歯が浮くわって思うのかもしれないけど、一番大切な人には言おう。逐一言おう。直接言おう。いや、電話越しでも文字でもいいから。言えなくなった時に必ず後悔する。毎日言ってたって後悔するんだから。もっと言えばよかったって。ね。言おう。

          好きとか愛してるとか、そんなの言えるかいな重力無視して歯が浮くわって思うのかもしれないけど、一番大切な人には言おう。逐一言おう。直接言おう。いや、電話越しでも文字でもいいから。言えなくなった時に必ず後悔する。毎日言ってたって後悔するんだから。もっと言えばよかったって。ね。言おう。

          『人をやるのが一回目』(不璽王・作) を読んで

          始まりの人はどこから来て、終わりの人はどこへ行くのだろうか。そもそも、始まりの人は終わりの人なのではないか。終わりとは何か。 私はあなた、あなたは私。私は全、そして一。 手塚治虫の『火の鳥』を読みながら、考えたことがある。 もし、命が転生を繰り返すのなら、一つの魂があれば済むのでは?と。場所を超え、時空を超え、形を超え、あらゆる生命は、生と死の反復運動を繰り返す。 そこに意味はない。反復運動を続けることこそが生命の存在する必然だから。 じゃあ、そこに意味を持たせたら? 「人

          『人をやるのが一回目』(不璽王・作) を読んで

          人の人生を笑うな 〜JOKER〜

          少々遅ればせながら『JOKER』を観た。 最後まで観終わり、映画館の電灯が点いて最初に出た言葉が 「ひどい映画を観た」 だったので、ひどい映画の感想として書きたいと思います。 ※ネタバレあり。 マーベルが陽、DCは陰、というようなイメージでざっくりと一般論的に語られることもあるアメコミ(原作映画)ですが、それはあながち間違ってはいないところだと思う。 絶望の中に希望を見付けることがマーベル的な「生」の究極だとすれば、絶望は絶望で希望は希望、みたいな割り切りを感じるのがD

          人の人生を笑うな 〜JOKER〜

          記憶にないことはなかったことになるのかどうかと問われれば、そんなことはないと答えたい。

          映画『記憶にございません』を観た。 なんとも言えないが、今これをやるのか、という驚き半分、呆れ半分といった趣である。 群像劇としては最高に面白い。と思う。 なにより、俳優たちが大袈裟に役になりきっているタイプの映画としては、そのケレン味が充分すぎるほど発揮されている。 むしろ、ある意味で演じることが仕事であろう政治の世界を舞台にしたことと相まって、真面目に演じれば真面目に演じるほど面白いコメディも、ここまでうまく演出されれば本望だろう。 コメディは多少設定に無理があるく

          記憶にないことはなかったことになるのかどうかと問われれば、そんなことはないと答えたい。

          鳥人間コンテストに出てみたかった。

          鳥人間コンテストに出てみたかった。

          耳から眼鏡を生やす人

          耳から眼鏡を生やす人

          タンスをコピーする人

          タンスをコピーする人

          月(きっとたくさんの人が撮ってるだろうけど)

          月(きっとたくさんの人が撮ってるだろうけど)