競争から共創へ
たまには専門に絡んだお話を。
私は大学で、デザイナーとエンジニアの共創について研究をしています。
芸術由来のインダストリアルデザインと工学由来のエンジニアリングデザインとの統合は、現代のモノづくり・コトづくりで大きな役割が期待されています。いわゆるデザインエンジニアリングと呼ばれる新しい領域です。
そしてこの両者の関係に加えてもう一つ欠かせないのが、ビジネス領域。
よくBTCモデル(Business, Technology, Creative)といわれるこれら3つの関係性は、いわゆる文系、理系、芸術系と、勉学での進路を考えても納得できますね。
研究に際してデザインとエンジニアリングの歴史を勉強していたんですが、なるほど両者の発展には、必ずと言っていいほどビジネスの事情が背景にあることが多いです。
"コストがかかるから、効率的な生産を促進する"
"モノを売るために、スタイリングのデザインを重視する"
そしてもはやこの超資本主義社会では、デザインとエンジニアリングは、ビジネスにとっての手段くらいにしか捉えられていないケースすら見受けられます。
他社よりも、誰よりも早く安く良いものをたくさん売るために、設計・生産を効率化し、見た目を"いい感じ"にデザインする。
自分以外の同業者は競争相手であり、ヒエラルキーのトップに躍り出るために、技術やスキルや方法を磨いてきました。
私自身、ビジネスについてはてんで詳しくなく、どうやら経済はまわさなきゃいけないらしい、という程度のことしか発言できないのですが、10代のころから考えていたことに、
「競争は発展の母である」
というものがありました。
かっこよさげに言ってるけど要するに、発展するためには競争は必要不可欠だから、全員平等、お手々をつないで、という平和ボケした考えには反対でした。
なので、生まれも育ちも広島県にも関わらず、戦争によって技術の発展が飛躍的に向上した点を考えれば、無暗矢鱈に否定されるべきものでもないという、危険思想さえはらんでいました。くわばらくわばら。
でも最近、特にデザインの勉強をするようになってから、考えが変わりつつあります。
特にここ最近の私は、何かを語らせれば、資本主義なんかくそ食らえ、ということに収束させようとしている気がします。よくないですね。心の養分が足りていません。
個人の私利私欲のために、お金やモノへの執着が第一とされ、そのためのサービスや発明であっても革新的と称賛されます。倫理観や品格なんてあったもんじゃない。
これは、ビジネスを担う役割の人によるトップダウン的な運営で企業が回っていることにも裏付けられている気がします。
分業化後の職人さんたちも、デザイン領域の発展のモチベーションのひとつに、手工業の地位を取り戻す、というものがあったそうです。
この個人主義が暴れ狂う現代も、近いうちに頭打ちとなりそうな予感がしますね。
微小ではありますが、SNSなどにて多くの疑問符が投げつけられ始めているのが、なによりの兆候です。
モノ/コトづくりの方でも、UXデザインのように本質的な体験や価値観を追求する分野が注目されています。
シェアリングサービスのように、共用する概念も広がっています。
世界は、いつか必ず個人主義から社会主義的思想へシフトチェンジします。
歴史は嘘をつきません。一定の周期のサイクルをぐるぐるとまわしています。
時が来れば、大災害やパンデミックが世界を包み込むし、こりもせず世界大戦を人間は繰り返す。
産業革命をきっかけに分業化したデザインと工学も、いまや統合の一途をたどっているわけですし。
向かいのビルの会社を蹴落とし、世界のトップに君臨する数字を追いかける時代は一度お休みです。
隣人と有益な知見を共有し、海の向こう側の人のために汗を流し、ボトムアップ的に地球の豊かさを充足させていくベクトルへの揺れ戻しに備えましょう。
数字の山に血眼な経営者が胡坐をかいている高い塔の下、私たちは祭囃子を賑わせましょう。
高い山に登りすぎて、戻り方を忘れないように。
下るほうがよっぽど危険ですよ。
寒空並ぶクジ売り場 貧しいものへ
見ざる言わざる人は着飾る
凍る指は もう立ち去っていった人の数も数えられないくらい痛い
ー『まなざし』/ People In The Boxー
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