聖徳をまとう_八/縁は導く(1)
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◇
「なんであんなこと言うたんや?」
見送りに出てくれていた平塚母娘が古書店内に引っ込むのを見届けるや、早々に雄平は口を開いた。
「あんなことって?」と、私。
「わかってるくせに」
雄平は大袈裟に鼻を鳴らす。
――私のまわりにオーラは見えますか?
「正直、一瞬、変な空気になってたで」
雄平の忌憚の無い物言いに思わず私は苦笑を漏らした。
「悪かったよ。ちょっとタイミングが唐突すぎたかな」
「まぁ、ええんやけど。でも、ほんまになんであんなことを?」
「――駅まで歩きながら話そうか。いつまでも店の前にいるとまた平塚さんが出て来るかもしれない」
そう言う私より先に雄平が路地を松虫通に向いて歩き始めた。追う私は雄平の背に語りかける。
「最近、自省を促されることが色々多かったからさ。はっきりとジャッジしてもらいたかったんや。お前なんか何者でもないという評価を下してもらいたかった。強がりじゃない。おかげで今は清々しいよ」
「ふーん。色々あったってそういやこないだも言ってたけど一体なにがあったん?」
雄平は首を傾けて斜め後方の私に一瞥をくれた。
「そうやな。雄平には今回世話になってるし、いつまでも黙ってるのはフェアじゃないな」
自分の最低な行為を告白する相手は雄平で三人目だ。その前は横谷香苗と肇の姉弟。
「だらだらと思わせぶりなのは男女関係に限らず嫌われるで。世話になったと思ってるなら早く教えて欲しいもんやな」
「ああ。聞いたら遠慮無くドン引いてくれていいよ」
長くなりそうと思ったのか、雄平は路地に面した定食屋の軒下で立ち止まった。追いついた私はその横に並び立つ。引き戸には閉店中の札が下がっていた。ここなら多少は陽光が遮られそうだ。
「春に名古屋から帰って来てすぐくらいの頃やった。日本橋の、その――風俗で遊んだあと、千日前のカフェで休んでいたらさ、窓の外を女性が通るのが見えたんや。その女性は――」
時間にして二十分程度だったろうか。私の告白を雄平は時折相槌を打つのみで余計な言葉を挟まずに聞いてくれた。
「結局のところさ。今回の一連の始まりは、僕が八城澄子のあとをつけたことなんやと一度思い込んでしまうと、それからは無性に事件のことを調べずにいられなくなった。事情を伏せたまま雄平を利用したことは謝りたい。ごめん」
謝罪の言葉を発するのと同時にこめかみをゆっくりと脂汗が伝い落ちるのを感じた。並び立つ友人の様子を横目にうかがう。雄平は路地を行き交う人々を見据えたままテンガロンハットの鍔を押し上げるところだった。
「ふーん。そんなこと全然気にしてへん。それに程度問題こそあれ、男が女の尻を追いかけることなんていわば本能みたいなもんやからな。魔が差したんだって自分で言うてたやん。そう深く考える必要も無いんちゃう。そもそもしゅうちゃんの行為がほんまに今回の事件の起点かどうかって言うのも怪しいもんやし」
汗ばんだ首筋に手をあてがって揉みながら雄平は言葉を継いだ。
「それにしても確かに色々あったとは言えるわな。自殺した八城の嫁さんと事故死した河下美月が似てるってのは、まぁ、所詮しゅうちゃんの主観やとしても。香苗の死亡推定時刻に一番疑いたい八城にはアリバイがある、と。そして、いもこさんで見つかった香苗の死体には何故か歯が無かった。おまけに、その香苗は事件前しゅうちゃんに聖徳太子の墓から歯が盗まれた伝承を教えてくれてたって。なにがなにやらさっぱりや」
最後は天をあおいで肩をすくめた。そんな雄平の仕草を横目に捉えながら私は小さく息を吐く。湿った風が頬を撫で、どこかで風鈴の鳴る音が聞こえた。
「――僕は、平塚さんに今の自分を否定してもらいたかったから、だから、あんな質問をした」
「ああ。自分のまわりにはオーラが見えるかどうかってやつやな」
「うん。だけど、実はもうひとつあの質問には意味があってさ」
「もうひとつの意味?」
「平塚さんによる八城の評価を見極めたかったんや。僕が何者でもないことは自分が一番わかってる。そんな僕に神性が備わっているなんて適当なことを言うようであれば、今度は平塚さんの目のほうが偽物だということになる。だとしたら、彼女がくだす八城の偽物判定も疑わしくなり、実は彼は本物なのではという可能性が残ってしまう。これからのことを思うと彼が本物の聖人だという可能性の芽を摘んでおきたかった」
「これからのことってつまり――」
「うん。僕は事件の見方を間違っていた。いや、そう仕向けられていたと言うべきかな。まだ全部はわかっていないんやけど」
――私のまわりにオーラは見えますか?
あのとき、私の問い掛けに平塚もえぎは逡巡する素振りもなく即座に応じた。
――いえ、なんにも。みんなそうやから傷つかないでね。安心して。あなたは凡夫よ。
「多くの人の心を真に掴む聖人を追い込むことは僕には出来ない。いや、そんな資格は無いというべきかな。でも、相手が聖人でないのであれば、自分と同じ凡夫であれば気兼ねは要らない」
「段々、しゅうちゃんの考えてることが見えてきたわ」
その表情に喜色を浮かべながら雄平は私に向き直った。
「しかし、それで言うと当の平塚さんの鑑定眼が絶対に正しいという証拠かって無いやろう」
「もちろん。ただ、こう見えて僕はスピリチュアルな人間は嫌いじゃなくてね。見える人には見えるという恣意性を前提にするのもひとつの思考実験としてはいいんやないかな」
雄平は帽子を持ち上げて汗で濡れた前髪に手ぐしを通した。
「ふーん。まぁ、そんなもんかね」
「帰ろうか」と、私は軒下の影から日向に一歩を踏み出した。
目と鼻の先に松虫通が見えた。車両の行き交う交差点を東に折れると昭和町の駅だ。私と雄平がまもなく通りに合流しようという瞬間、駅のある方向の角から見知った男の姿が現れた。百八十を超える長身。細く長い四肢が濃紺のシャツとスラックスに包まれている。黒いマスクに顔の下半分が覆われているがその上に光る黒目がちな瞳を見まがうはずもない。
八城宗光だった。
――続(八/縁は導く(2)へ)
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