私の読書傾向
私の好きな小説
眠れない夜です。こういう時物思いに耽ると、文章にまとめたくなります。
そうすると余計に目が冴えて、なかなかお目にかかれない白い朝を見ることになります。朝に眠ることは好きですが、起きる時に自分がとても嫌になります。
バックグラウンドミュージックはThe Beatlesの"Rubber Soul"。
私はついこの間村上春樹氏の『ノルウェイの森』を読み終えたばかりなのです。
最後まで読み切ったのは、おそらく二回目。数年の間があります。
今日は私が今まで、そしてこれからも繰り返し読み返す小説について、文章にしたいと思います。
『ノルウェイの森』村上春樹
冒頭触れたように、私は人生でこの小説を2度ほど読んでいます。
1度目がいつだったか思い出せません。確かなのは、まだ10代の頃でもしかしたら高校生の頃だったかもしれません。母の持っていた小説を少しずつ読んでいて、ただその中のひとつにすぎないものでした。もちろん村上春樹さんが日本を代表する作家であることは知っていましたし、映画化された際に母が買ってきたパンフレットは見たことがありました。しかしその時全て読み終えたとき、大した感想を持ちませんでした。今言えることは、まだ私の経験が少なく、若く、まだ早かったということです。
しかしいつ読んだかさえ覚えていないのに、もう一度読み返すことになったのは少し心に残る部分があったからかもしれません。どうしてそう思うのかと言うと、21歳になったあたりで、私はこの物語の大部分の主人公やその他の登場人物の年齢を超えていることに気づいて、それがなんだか信じられなかったのです。
そこに、私が数年の間で得た経験が重なりました。初めて読んでからもう一度読み返す間に、私は通っていた学校を中退しました。不安障害から時間をかけてうつ病になり、短い入院を2度しました。親しい友人を突然亡くしました。22歳の夏の始まりは、強い憂鬱に苦しみました。友人の死から数年経っても、悲しみは濃くなっていく中で命日が近づいていました。遠ざかる年月を実感しながら私は『ノルウェイの森』を思い出しました。余計辛くなるかもしれないと思いながらも、読み始めることにしたのです。
物語の中身に詳しく触れると、ネタバレになってしまうので読み終えたあとの感情から書き留めていきたいと思います。
「何て寂しいんだろう」寂しくて寂しくてたまらなくなりました。”寂しい”という感情で興奮に似たような気持ちの高ぶりを覚えたのは初めてでした。長く寂しい余韻がありました。でも少し心地よいのです。ひどく疲れた日々の中でようやく泣くことができたようなそんな心地です。本を読むと言うことは、私の中に情報を入れることのはずなのに、どこかマイナスな感情を外に出せたような気がしたのです。だけれど寂しいものは寂しいので、その気持ちを押し付けるように友達に長文のLINEを送りました。同じく友人の死を経験した私の大切な友達に、「小説を読んで今たまらなく寂しい、どうかあなたはいなくなったりしないでね。」そんな言葉を長文にして送りました。『ノルウェイの森』は、愛おしいものが消えてしまう怖さを代弁してくれたのかもしれないです。この物語は”生きていく”私にとって愛おしい大切なものの存在をより強くしました。これまでどこか”死”に寄って行ってしまう私がいたことも否めません。この物語は、眼前に突きつけられた”生と死”に向かい合う誠実さがあると思います。私の周りにいる正直で誠実な人は、苦しみやすく傷つきやすいです。それは決してその人たちの性質ではなく、そういうこの世界のシステムだと思っています。世界が真っ直ぐなら誠実さは丸みを帯びていて、正直者がまっすぐなら、この世界は歪んでいる。簡単に言えば、彼らとこの世界とは反りが合わないのです。それでも私は、生きている限り誠実でいたいし、愛おしくて大切なものには正直でありたい。でもそれは苦しみや、痛みを伴う生き方だから、そんな時に私はまた『ノルウェイの森』を読み返すと思います。少なくともこの物語の登場人物は、そんな私に寄り添ってくれると思うから。日課のように読み返せる小説ではなくても、私はまた必ず読むでしょう。それは私が、生きていくためだと思っています。
『キッチン』吉本ばなな
なぜ私がこうして小説について文章を書いているかというと、私には好きな小説、何度も読んできた小説に、なんだか必ず”生と死”というテーマがあることに気付いたからです。
『キッチン』も”生と死”について描かれている小説だと思います。それに気がつくまで長い時間がかかりました。なぜなら私はこの小説を、小学校三年生の頃から読んでいるからです。私にとって初めて読んだ、”大人が読んでいる小説”だったからです。それまでは子供向けの児童文学とかを読んでいましたが、そうではない物語は『キッチン』が初めてでした。そういう意味でも私にとって特別な小説です。例によって『キッチン』も母の持っていた小説でした。他にも、『哀しい予感』とか『アルゼンチンババア』とか吉本ばななさんの小説はいくつかありましたが、一番読み返しているのは『キッチン』です。
私が面白く感じるのは、読むたびに自分が大人になったと感じることです。昔は全然気付かなかったけれどこんなにわかりやすく恋愛感情が書かれているのか!とか、気付かなかった表現に気づくのです。”生と死”も同じです。幼くてどれほど辛い痛みなのかわからなかったのです。登場人物たちの行動や繋がりが死の痛みや、苦しみから逃れようとしたり、助けようとしたり、立ち直ろうとしてることに少しずつ気付いていくのです。そしてこれからも、”私自身の成長”によって新たな気づきがあることに期待して読み返します。私にとって『キッチン』は小さい頃から読んでいるけれど、大人の象徴で、自分が成長していくための原動力なのかもしれません。
最後に。
本当は堀辰雄氏の『風立ちぬ』のことも書きたかったけれど、同じ姿勢でいたせいで、少し疲れてしまいました。ベッドの上の重たいお尻が限界を迎えそうです。やっぱり目は冴えてしまったけれど、どうにか眠りたいと思います。
最後まで読んでくださった方、少しでも読んでくださった方、ありがとうございます。私は、読書家と言えるほどたくさんの本は読んでないけれど、ときどきはこうして頭の中を開いて言葉にしないと物語と夢のなかからは帰ってこられない性分なのです。だからまた夜中に突然文章を打ち込み始めると思います。また付き合ってくれたら嬉しいです。小説の感想につきましては、あくまで私個人の感想です。人それぞれ感じることは違うものなので共感していただけたら嬉しいですし、また誰かの感想も聞いてみたいです。
それでは、また。
おやすみなさい。
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