アメリカの高校から日本の大学に進学して驚いたこと
僕は今年3月に東京の大学を卒業しました。
でも日本の高校には通っていません。
生まれてから中学までは東京で過ごしましたが、その後アメリカ・ハワイ州の高校に単身留学しました。(4年間)
はじめは戸惑いながらも、現地の生徒に混じって勉強して、留学生で唯一の優等卒業生(Honor Graduate)にもなりました。
その後日本の大学に進学すると、留学から帰ってきた僕は様々なショックを経験することになります。
これからお話しすることは、自分の胸にしまっておくつもりでした。
しかし、お子さんを海外の学校に進学させるか迷っている方が思いのほか多いことに気がつきました。この国の教育を変えるべく活動されている方々もいます。
そこで、日本と海外の教育両方を受けた人間の経験が役に立てば良いなー…と考えるようになりました。
ご自身やお子さんの学校選びや、教育関係者の方々のご参考になることを願っています。
IT活用の遅れ
日本の大学でまずびっくりしたのが、ITが全然活用されていなかったことです。
ペーパーレスという概念はあまりなく、講義、テスト、宿題のほとんどが紙ベースで行われていました。
ハワイでは当初、巨大な紙の教科書数冊とMacBook Proを持ち歩いていました(アメリカの教科書は巨大なことで有名です)が、デジタル化と共にiPad(生徒全員に一台ずつ支給)でほぼ全てが完結する生活になっていきました。
これが「当たり前」だった僕にとって、教科書のほとんどが電子化されておらず、講義や新歓で大量の紙が使用されていることは資源の無駄遣いにすら思えました。
学生のITスキルについても同様なことが言えます。
ハワイで通っていた学校は幼稚園から高校までの一貫校(いわゆるK-12)だったので、小学生ごろからGoogle DriveやiMovieなどを活用しはじめます。
僕を含めて、全員が高度な知識やスキルを持っていたわけではありません。
とはいえ、プレゼンの課題が出れば自然とドキュメントやスライドをオンラインで同時編集するし、自作のドキュメンタリー動画やiBookを作る宿題もありました。
設備も素晴らしかったことを覚えています。
いたるところにiMacが置かれていたほか、3DプリンターやGoogle Glassなど当時最新だったテクノロジーも校内にあり「イノベーション」を間近に感じることができました。
今年の3月には、母校が3Dプリンターで作成したフェイスガードを地元の医療機関に寄付しています。
それゆえ、大学のプレゼンで「各々でスライドを作って最後に合成しよう」と言われたときにはびっくりしましたし、構内にお世辞にも性能の高いとは言えないパソコンしかないことには多少の憤りすらおぼえました。
高校に入学したのは2011年。2020年の大学がそれよりも遅れているのは、ある種タイムスリップしたような感覚です。
事実、日本の教育は厳しい評価を得ています。(PISAというOECD諸国を対象にした調査より。質問に答えたのは15~16歳の生徒たちです。)
①デジタル機器(ICT)の導入
②ICTの利用用途
③ICTへの姿勢
「日本の学校はIT機器を全然取り入れてないし、授業でも活用していない。それゆえ生徒はICTの使い方がわからず関心も抱かない」という散々な現状。
この問題は教育機関だけのものではないと思っています。
なぜなら、保護者や文科省の役人を含め、テクノロジーの力や重要性を知るステークホルダーが圧倒的に少ないからです。
「デジタル機器なんて使い方がわからないし、そもそも従来の教育で十分だろう。」
こんな雰囲気になってしまっても仕方がない気がします。
僕自身、デジタルが全てとは考えていません。大学にはテクノロジーを非常にうまく活用している先生も多くいました。
しかしITは鉛筆やノートと同じように「当たり前」のインフラになりつつあり、日本全体の基準は先進国はおろか世界の平均レベルにすら達していないことは現実です。
文系・理系という概念
「俺、文系だから数学とか苦手だわ」
大学で1000回くらい聞いた言葉です。でも、はじめは意味がわかりませんでした。
文系・理系という区別はほぼ日本固有の文化と言っていいでしょう。(Wikipediaには5言語分の記事しかなく、とりわけ日本語版だけ記述が多いです。世界的にメジャーなのは、社会科学や自然科学等のくくりでしょうか。)
まして高校生のうちから一方を選択し、それが大学入試にも影響してくる…大きな驚きでした。
例えば僕の高校の場合、卒業までに最低限取らなければいけない科目は全生徒共通。ただし、4年間のうち最初の2年間で終わってしまうように設計されています。
なので高学年になれば自由に時間割を組み、興味・関心を追求できるようになっていました。(単位制で、豊富な科目の中から自分の好きなものを取るスタイルです。)
好きなら数学を極めることもできるし、国語(英語)が得意なら近代アメリカ文学の世界に浸ることもできます。
ここで重要なのは、「どちらも」を選択できることです。
僕は理数系が得意でした。そこで微分積分、統計学や物理学を重点的に学びながら、陶芸やパブリックスピーキングなど、幅広い分野に首を突っ込みました。
途中で方向転換も可能です。最初は同じようにサイエンス系だった友達が、突然外国語に目覚めてスペイン語やフランス語を重点的に学ぶことも珍しくありませんでした。
それゆえ、完全にレールが分けられてしまう文理選択というシステムは恐ろしいものに感じました。
数字も言葉も好き。生物学も政治学も楽しい。それで良いと思います。
多分野にまたがる興味関心を持つことは、これから非常に重要といわれる水平思考(Lateral Thinking)にも繋がります。
たしかに大学では専門性をより高めることが必要ですが、文系理系の線引きを不必要に持っている教授や学生に多く出会いました。
人間の可能性を制限してしまう、すごくもったいない価値観だと思います。
例えるなら男女のステレオタイプに固執しているようなイメージです。古いと感じますよね?
この点については、日本でもゆっくりと改革が進むかもしれません。
例えば、早稲田大学の政治経済学部は共通テストの数学受験を2021年度から必須にする決定をしました。
将来的には、海外によくあるダブルメジャーなども身近になるのかもしれません。
大雑把なGPA計算
大学では一年に二回ある成績発表。
しかし、どうしても納得がいかない点がありました。
「手応えがあったのに評価が低い」と思うこともありましたが、それとは違います。大学で用いられる相対評価のシステムでは、周囲の出来が良ければ厳しい評価を受けることもあるからです。
違和感の正体は、大雑把な評価方法にありました。
僕の母校を含め、日本の大学は以下のようなシステムが一般的です。
綺麗な5段階評価ですね。対してアメリカの高校。
13(場合によっては12)段階評価でした。全然違いますよね。ハーバードなど、大学でもほぼ同様のシステムが使われていることが多いです。
アメリカは細かすぎる?果たしてそうでしょうか。
そもそも標準化された成績評価は19世紀にアメリカで誕生したもので、当時は5段階が主流だったようです。現在のように細かく分けられるようになった背景には2つの大きな理由があります。
1. 成績の納得感が増す
あなたは連日一生懸命勉強した科目で上位89%の成績を取ったとします。同じ出来でも、日本とアメリカではシナリオが全く異なります。
このように、一定の「細やかさ」は成績に納得感を与えてくれます。
2. GPAの信頼度が増す
成績は0から4の数字に変換され、その平均値はGPA (Grade Point Average) になります。
ここでも日米の違いが現れます。
この点でも軍配はアメリカ式に上がります。
実際に、世界の潮流も同じ方向を向いています。
2013年、イギリスのHEA(高等教育アカデミー)は独自の調査を行い、GPAの導入を国内の大学に推奨しました。
以下が提案されたGPAテーブル。
成績の付け方に多少違いはありますが、アメリカよりも細かい15段階評価に以下のようなメリットがあると結論づけました。
日本ではまだGPAシステム改革の動きはありませんが、何らかの形でメスが入れられるべきかもしれません。
学費の安さ
日本の大学に入って、良い意味で驚いたことがあります。それは学費の安さです。
通っていた大学の授業料は1年間に100万円ほど。
学費が高い!とよく言われていました。たしかに大金です。
しかし、ハワイの高校はその倍以上。ホームステイ費などを含めれば約4倍の費用がかかりました。(親には感謝しかありません。)
アメリカの大学はもっと高額で、スタンフォードなどの有名大学は1年で7.5万ドル(約800万円)以上かかることも珍しくありません。
奨学金もたくさん用意されているのですが、その多くは負債になります。借金に苦しむ学生の多さは社会問題で、74%の学生は「いつになれば完済できるかわからない」という恐ろしいデータもあります。
金額だけ比べてしまえば、日本の大学はアメリカに比べて「安い、通いやすい」と言うことができます。
しかし一点注意するべきなのはコストパフォーマンスだと思います。
そこで日米の大学の運営状況について調べてみました。
アメリカの大学はあれだけ高額なのに、授業料が運営費に占める割合は日本よりも低く、寄付金や政府・自治体の資金が大量に投入されています。(データはすべて文科省の資料より拝借)
膨大な資金力格差があることがわかりますね。
日本も善戦していますが、OECD調べの研究開発費にも大きな差があります。
資金力があれば、教育環境を整え、大規模な研究ができるようになります。結果的に優秀な学生・研究者が世界中から集まってきます。
アメリカの大学は「授業料は高いけど、それ以上に寄付や公的資金が投入され、国際的な競争力もある」と考えることができます。
逆に日本の大学は「学費が安く通いやすい代わりに、教育環境や設備はそれなり」…ともいえますね。
これからもこの国の大学は少ない予算でやりくりするしかないのでしょうか。
厳しい状況ですが、希望は全くないとは思いません。実は日本の税制には面白いシステムがあります。
「寄付税制を所得控除と税額控除から選択できる」という世界的にも珍しい制度で、ひらたく言えば個人の少額寄付を促進するものです。(日本の個人金融資産は約1800兆円。ちょっとでも流れてほしい。)
とはいえ寄付や施しの習慣は文化や宗教に根ざした面もあるため、一筋縄ではいきません。道のりは長いです。
ペイ・フォワードの文化が日本でも根付いてくれれば嬉しいですね。
おわりに
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
もしも愚痴のように聞こえたり、日本の教育をいたずらに否定するような印象を与えてしまったら申し訳ございません。
しかし冒頭にも触れたように、あくまでも現在または将来の学生さん・親御さん、そして教育関係者の方々への貢献を意図しています。
実際、日本のシステムにも素晴らしい点が沢山あると思います。勤勉で格差の少ない社会を愛する国民性が随所に現れているでしょう。
一方で変化を好まず、個性や自主性を大切にできていない面もあります。今後ますます加速していく世界との相性は良いとはいえません。
また忘れていはいけないのは、「学業だけが人生ではない」ということです。
僕が日本の大学に様々な違和感を感じながら海外に出なかったのは、この国での生活自体が素晴らしいことが大きく影響しています。
物価が比較的安く、ご飯がおいしくて、治安も良い。そして高校留学中にあまり時間を過ごせなかった家族と顔を合わせられる…これ以上の環境はありませんでした。
ご自身やお子さんにとって何がプラスなのか。長期的な視点で考え、対話することが大事でしょう。
それではまた!
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